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教員コラム

線の引き方〔前編〕

人は意識しているかどうかにかかわらず、線を引くことで現実の物事を理解してきました。男/女、人/動物、大人/子ども、心/体、健康/病気など、例を挙げるときりがありませんが、線を引くことすなわち分けることが、分かることにつながっていきます。ただし、ここで理解したことが真理であるとか唯一の見解だということではありません。問題は、そこにどのような線が引かれているのか、ということです。

実際、これらには曖昧なグレーゾーンが常に存在しています。たとえば、健康と病気の間には広大な中間領域があり、そこにいろんな線を引くことができますし、どう引くかによって健康と病気それぞれの意味が変化していきます。考えてみると、完全な健康とか完全な病気というものがあり得ない以上、線で分けられたものは究極的には虚構でしかないのです。男と女、人と動物、大人と子ども、心と体も同様です。

虚構を実体であるかのように共同で錯覚することで、人間のコミュニケーションは成り立っています。ですので、論理的なコミュニケーションが必要とされる場では、今扱っているトピックに関して自分や他の人がどんな線を引いているのかということを、たえず意識しておく必要があります。

さらに、様々な補助線を意図的に用いることで、古い概念や従来の体制に揺さぶりをかけ、より現実に見合ったものに作り変えていくことも可能になります。これはニーチェが探究し、近年は脱構築と呼ばれる知の技法です。脱構築は人の感覚や直感(ファスト思考)と馴染まないため、空疎な言語的操作と批判されることもありましたが、あらゆるものの境界が不鮮明になりつつある現在において、実践の上でもアクティブな現実介入の技法になると考えています。

【後編に続きます】

長田 陽一(2018年3月9日)