京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 旭山動物園長 坂東元氏の講演を聴いて

ニュース

教員コラム

旭山動物園長 坂東元氏の講演を聴いて

北海道旭山動物園に行ったことがある。
水槽の底の一部がガラス試験管のように垂れ下がって、われわれ見物人の頭の上でU字状になっている。その中にゴマアザラシが一匹降りてきた。あきらかに私たち見物人を見物しながら「何見てんのよ」とでも言いたげだった。

8月30日、本学で開催した人間関係学会での講演を終えたばかりの旭山動物園長坂東元氏に、「あのアザラシの目が忘れられないです」と私は言ってみた。

「アザラシは陸に上がると外敵を用心してビクビクしていますが、水の中では自信満々です」と園長は答えてくださった。
アザラシのアザラシらしい姿は水中にある。しかも、水中から人々をながめる余裕の目線を、文字通り目の当たりにすることができたとき、動物に見透かされたように感じて、照れ笑いをしてしまいそうになったのだった。動物を見ることで自分を見る。自然な動物の直観に出会い、自己と出会う。そんな連想をすることができる動物園を坂東元氏はつくって来られたのだと思う。

C, R ロジャースは「クライエント中心アプローチ」を提唱した。カウンセラー側から見れば「クライエント中心」とは「相手中心」の関わり方である。相手の身になって聴かせていただく態度で面接するのである。これを学んだ時、私は高校国語科教師になったばかりだったが衝撃を受けた。高校生と対話するとき、面接に限らず授業においても、生徒中心の態度で接するようにすると、劇的な変化が起きた。生徒が生き生きと、積極的に変化したのだった。

旭山動物園のアザラシから与えられた感動は、アザラシの生き生きとした、アグレッシブな目の力によるものだった。それは坂東氏の動物園展示の発想によってもたらされたものだと思う。その発想とは、いわば「動物中心アプローチ(Animal Centered Approach)」なのだった。

自分中心に見守ってもらうと生き生きとありのままの自分を表現できるようになる。その「相手中心の見守り」ができる人は、ある意味で自分をありのままに表現できる人である。私は幸運にもそのようなありのままの表現者であり、「相手中心の見守り」の達人に会うことができた。

1983年春、国立婦人会館での6daysワークショップでC, R ロジャースと立食パーティーで短いながらも言葉を交わす機会を得た。「あなたは、この会場にいるジャパニーズスピリッツが見えるかい?」とロジャースに尋ねられて、戸惑ったが、彼のまなざしには霊が見えているようだった。

生前の河合隼雄にも何度かお目にかかることができた。魂の存在を「先生は信じておられますか?」と尋ねる私に、足を止めて向き直って「あのな、死んだことないからわからんけどな、魂があると思うたほうがおもろいやろ?生きていて」とストレートに答えてくださった。

なぜ、ロジャースと河合隼雄が思い出の中から出てきたのか?
旭山動物園のアザラシの目、坂東元の目がロジャースの目、河合隼雄の目と重なるのである。

坂東元園長のまなざしは動物的直観の力をもっていた。そのまなざしに照射された私は、私の中の魂を感じないではいられないのだった。「力を与えてくれるまなざし」と勘違いしてはならないだろう。「魂を照射することによって、力を引き出してくれる」と、言うべきまなざしなのだから。

藪添 隆一(2015年9月29日)


※このコラムに掲載している写真は「GATAG|フリー画像・写真素材集 4.0」のものです。旭山動物園のアザラシについては下記のリンク先等をご覧ください。
[「旭山動物園 あざらし館」へのリンク]