Koka's Heart

佐々木 勝一

電話越しの声

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電話越しの声

どんな人に対しても、対等な気持ちで丁寧に接することが大切だ。社会福祉士としても教育者としても心掛けねばならないこと。そう教えてくれたのは一人の若者だった。

障がい者支援施設で出会った彼の名は、てっちゃん。重度の自閉症で、パニックを起こすと自分の頭を叩いたり周りの物を壊したりする。私は彼の担当職員だった。集団の作業部屋で彼が騒ぎだすと、他の職員に「二人とも出て行ってください!」と、放り出されてしまったものだ。そんな時、施設の外の駐車場で二人腰掛けて「てっちゃん、僕のこと誰か分かる?佐々木やで。佐々木。」と、顔を指さしてよく問いかけた。せめて名前を呼んでほしくて。だけど、彼は名前ではなくて、私の指の先にある眼鏡を見て、「めがね、めがね」と言ったのだった。やっぱり彼は私が誰だか認識できないのだと、がっかりした。

てっちゃんの担当になって1年半、彼の行動に異変が起こり始めた。視線が定まらず、暴れる時に転び始めた。よく見ると、彼の目の中が白く濁っている。慌てて病院に連れて行くと自傷行為による網膜剥離で失明したと告げられた。彼の自傷行為を防げなかったことに責任を感じた。

その後転勤したが、やっぱりてっちゃんのことが気になる。電話をかけ、「元気か?」と聞いてみると、思いがけない反応が返ってきた。電話越しに「めがね、めがね!」とはしゃぐてっちゃんの声が聞こえたのだ。そのとき、自分がてっちゃんを理解できていなかったことにやっと気がついた。声を聞くだけで誰だか分かる。彼は私という人間を認識してくれていたのだ。

障がいが重いから、〝できない〟〝分からない〟と決めつけてはいけない。彼らは相手の不誠実さや高慢さを敏感に感じ取り、理解している。子どもや学生もそうだ。教育や支援には誠実な対応が不可欠なのだ。いい加減なことをすると、相手に伝わる。そんな当たり前のことを私はてっちゃんから教わった。

今でもその教訓は心に刻まれている。京都光華に赴任して11年。キャンパスを散歩しながら、寂しそうにしている子がいないか、探すのが日課だ。この大学で過ごした日々を社会に出てからの支えにしてほしい。そう願い、今日も学生たちに声を掛ける。

私の人生のキーワード

“大学院入試の受験勉強”

職場で休憩時間に大学院入試対策の英語の問題に頭を悩ませていたとき、精神病を抱える利用者さんが教えてあげようと言ってきた。半信半疑で問題集を渡すと、すらすらと解いていく。実はアメリカで職務経験があったとか。精神病だから自分より能力が劣ることなど決してないと痛感した。

大学院入試の受験勉強

“落語”

中学生のとき、桂米朝さんの寄席に行き感銘を受けてから20代半ばまで落語家を目指していた。現在は自分の授業に、落語を取り入れている。間の取り方やイントネーション、会話の成り立ちなどについて、落語を用いて指導。社会福祉士に不可欠なコミュニケーション方法を教えている。

落語

“生き方の指導”

将来目指す道が定まらない学生たちに、障がい者施設での就労体験を勧めている。施設の障がい者の方々は性格が明るい。実際に会って驚く学生も多いようだ。“働くこと”や“生き方”について考えるきっかけになっている。学生たちが自ら希望する進路を4年間のうちに見出してほしい。

生き方の指導

“ポリシー”

学生の卒業後を見据えた教育を行うこと。そのために、しっかり時間をとって学生の希望に耳を傾ける。社会福祉士としての対人援助の知識を生かして、意思表示の苦手な学生の希望もきちんと聞き出すようにしている。京都光華の学生全員が社会に居場所をつくれる人になってほしい。

ポリシー
教授 佐々木 勝一
教 授佐々木 勝一 Sasaki Shoichi

健康科学部 医療福祉学科 社会福祉専攻 教授 兵庫県神戸市出身。大学卒業後、障がい児通園施設へ就職。障がいのある子どもたちと心通わす指導方法に興味を持つ。その後、成人の知的障がい者支援施設に勤務し、精神病を抱える人が多く通う生活保護の施設へ転勤。同施設で施設長を務める。40代で大学院受験に挑戦。武庫川女子大学大学院臨床教育学後期博士課程修了。2004年より本学に教員として赴任。落語家を目指した経験を生かし、ユニークな授業を展開。 ※2015年度取材