Koka's Heart

和田 裕美

身を助けるもの

SWIPEしてご覧ください。

image image

身を助けるもの

18歳の私は、姉が通っていたという理由で迷いもなく京都光華の門をくぐった。英語が得意だったので英米文学科へ進学。いろんなタイプの友人ができて、放課後にスイーツを食べに行ったり、旅行に行ったり、授業の合間を縫ってさまざまな所へ出掛けた。

授業で特に印象的だったのは米文学。シェイクスピアのような英文学よりもスタインベックやフォークナーに惹かれた。開拓時代の農民の生活や南部アメリカを描いた作家たちだ。本場を知りたいとアメリカ留学もした。後にアメリカ資本の教育会社で営業をするなんて夢にも思わなかったけど、米国人の根底に流れる文化を一片でも理解できたことは私の大きな強みになった。その留学費用も自力で賄うと決めていたから、授業のないときはホテルの配膳係としてアルバイト三昧。心身共にきつい仕事だったけど、ここで学んだことは多かった。効率良く仕事を回す段取り。マニュアルにはないお客さまへの対応。お金を稼ぐって生易しいことではないと身をもって知った。

卒業後はすぐには順風満帆とはいかなかった。アパレルメーカーでのOL時代は、商品管理をする決して派手ではない部署で、倹約生活。「もっとやりたい仕事がしたい」と一念発起して入った外資の教育会社で七転八倒するうち、世界2位の営業成績を収め、29歳で女性初の代理店支店長に就任。最終的に100人を束ねる管理職に最年少で就くなど順調過ぎるほどのキャリアを積み重ねていった。経営不振に陥った会社が日本から完全撤退するまでは…。

当時の立場上、部下への解雇通達やスクール閉鎖などの業務を受け持つことになり、厳しい非難の声を浴びせられた。部下の再就職先を世話し終えて事務所を閉めると、自分が再就職する気力は残っていなかった。身も心もボロボロ。それでも、営業で得た知恵や経験だけを資本に、営業コンサルや人材育成の仕事を細々とやっていると、ぽつぽつセミナーや出版の仕事依頼をもらえるようになった。「世界2位」「女性初の支店長」一生懸命築いた過去の実績と、仕事で出会った人とのつながりが、すべてを失った私を助けてくれたのだ。

独立して15年目、働く女性の先輩として母校の教壇に立った。後輩たちに伝えたいのは、一生懸命であること、人との出会いを大切にすること。ここで得たすべてを自分の土台にして人生を築くこと。人生に無駄な経験など一つもないのだから。

私の人生のキーワード

“手書きの手紙”

著書を販売してくださる書店の方、出版社の方などへの連絡には、メールも使うが筆ペンを使って手紙を書くことも多い。手書きには思いを伝える力があると思うから。自社ホームページの著書紹介も手書きで書くことにした。ちょこっとイラストを添えてみる。

“手書きの手紙”

“シャビーシック”

打ち合わせや取材用のオフィスに置いているのは、フランスのアンティーク家具。いかにも事務所然とした家具は冷たい感じがするのであまり好きではない。オフィスがある麻布十番の商店街もそうだが、どこか古くて味わいのあるものに心惹かれてしまう。

“シャビーシック”

“本代はケチらない”

メールやSNS全盛の今は、ボキャブラリーの豊かな人が影響力を持っていて、集団から頭ひとつ飛び抜けられる時代だと思う。学生の皆さんには、本をたくさん読んで、自分の言葉を増やしていってほしい。本を読む時間とお金はケチらない方がいい。

“本代はケチらない”

“免疫をつける”

たとえ、クラブ活動に嫌な先輩がいたり、アルバイト先の人間関係で揉めたりしたとしても、あえて「ラッキー」と思ってみよう。いずれ社会に出れば、気の合う相手とだけ付き合うわけにはいかなくなるのだから、その予行演習と思えばいい。免疫もなく社会に出るほうが怖いこと。

“免疫をつける”
卒業生 和田 裕美
卒業生和田 裕美 Wada Hiromi

作家・営業コンサルタント
京都光華女子大学 キャリア形成学科 客員教授
京都府生まれ。光華女子大学文学部英米文学科卒業。外資系教育会社でのフルコミッション営業で、世界142カ国中第2位の成績を収め、20代で女性初の支店長となる。その後、和田裕美事務所を設立。これまで出版した著書は50冊以上で、累計1200万部を超える。ビジネス書だけでなく、絵本や小説など幅広く執筆中。その他、自らの経験をもとに国内外でセミナーや講演を多数実施。多くの人の人生を好転させてきた。 ※ 大学・学科名は入学時のものです