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教員コラム

ファンタジーを考える③

2. ハウルの動く城(後編)

【②からの続きです】

ハウルも呪われた存在である。魔法という万能感を得るためにたましいを失った状態なのである。

万能感は幼児のこころである。「何でもできる」「何にでもなれる」「何でも手に入れることができる」「どこにでも行ける」ようなイメージがこころに満ちている状態である。もともと、こころは「快感」「満足感」によってふくらんでできた空間なのだから、幼児の万能感は、こころそのものと言ってもいいだろう。

ハウルは少年の頃に、たましいと引き換えに魔法使いになる。「星の子(宮廷魔女の魔法)」を飲み込み、心臓(たましい)を星の子に預けて「火の悪魔カルシファー」として「動く城」の動力源にしていたのだった。ハウルはたましいと引き換えに魔法、つまり「自由(万能)」を手に入れる。カルシファーは呪いによって、自由を失う。カルシファーが「縛り付けられ」「働かされる」のはハウルが大人にならずに済む代償なのだ。

大人になるとは?自分の中の子ども性をあきらめる力を得ることである。言い換えれば「万能感」を失うこと無く(失えばこころを失う)時には断念することである。

ハウルはおしゃれな美男子である。自分の髪の毛の色を、ソフィーの風呂掃除のミスで間違えて染めてしまったときには「美しくなければ、死んだ方がまし」と自滅しそうになる。極度のナルシストである。落ち込むと死ぬかわりに「退行(子どもがえり・赤ちゃんがえり)」する。ハウルの寝室は魔除けのアイテムだらけの、赤ん坊の寝床のようである。

「ハウルの動く城」はどこへでも行くことができる。城自体が移動する。城の中のドアは「どこでもドア」で、ドアの出口を選び、「港町の家」「首都の家」など、いくつかの家の玄関から出ることができる。ハウルもそれぞれの町では名前もキャラクターも違う存在なのである。

万能感を満喫して生きたいものである。しかし「身辺自立」「仕事」「結婚」「定住」「子育て」など、大人の進路も選択しなければならない。ハウルは「自由」に生きていて選択しない。「身辺自立」つまり掃除、整理整頓の基本は要不要を選択し不要物を「捨てること」が基本である。捨てることの出来ないこころの弱さは「ゴミ屋敷」を生む。ソフィーが来るまでのハウルの動く城は動くゴミ屋敷だったのだ。

どこへでも行ける人生は魅力的である。しかし、放浪者、浮浪者は悲しい存在である。定住する、定職に就く、社会的な定評を得るための力を根本的に持つことが出来ない人は定まりの無い人生に陥る。

いつまでも若いことも魅力的である。しかし、永遠の若者、ピーターパンは現実の社会においてははた迷惑な存在である。社会的な信用がもてないからである。自分のためには努力し、闘うが他者のためには働かずに、賞賛を求めるばかりなのだ。

選択することは捨てることである。一人の伴侶を選ぶことは、その人以外の異性をあきらめることである。最終的にハウルはソフィーを選ぶ。呪いから醒めてお婆ちゃんとなった荒地の魔女、子どもらしくなったマルクル、などを偏見無く家族として世話するソフィーの自己イメージは自信に満ちている。

正気に戻ったハウルが「こりゃひどい。体が石みたいだ」と言うのに対して「そうなの。こころって重いの」とソフィーは答える。

たましいを取り戻したこころは重いものなのである。

藪添 隆一(2018年1月9日)