たとえば、心と体の間に脳という補助線を引くことで、従来からの心身二元論の修正を迫られることになります(西洋ではデカルトに始まる心身二元論の議論の歴史がありますが、ここでは心と体を分けて理解する素朴で一般的な認識のことを心身二元論としています)。かつて体とは心や魂の容器でしかなく、心や魂が経験を積んで成長した後には捨て去られる仮の住まいのようなものだと考えられていました。つまり心が主で、体は従の関係でした。ですが現在では脳科学の進展に伴い、心とはニューロンの電気信号のネットワークやホルモン等の化学物質によって生じる現象であり、したがって身体を基盤とした物質世界に属しているという認識が優勢となっています。
ただし、心に関する脳科学の探究は始まったばかりであり、記憶や意識などの心の複雑系の問題を解明できるとしても、それはずっと先のことでしょう(およそ100兆もある脳のシナプスが同時並行的に活性化して心という現象が生まれてくるので、世界最速のコンピューターを使ってもそのプロセスを解明することは今のところ不可能です)。科学は心から旧来の特権的な地位を奪いましたが、その結果、心は想像を超える複雑さと精妙さをまとった、まったく新しい人間理解のパラダイムとして現れてきたのです。
とはいえ古い心身二元論はなくなったのではなく、近親者や自分の死に直面するような時には、人の思考と感情を強い力で捉えて離しません。人は今ここでの現実に向かって、その都度現実を理解しようと線を引き、引き直し、いくども引き続けるのですが、そのうち線は意識から消えて、そこに一つの絵が浮かび上がってくるのかもしれません。その絵は私がもがき到達した現在の理解の地点です。いずれまた書き直されるとしても、それは生きることと密接に結びついた価値の創造なのだと思います。
長田 陽一(2018年3月9日)