京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 映画「アラジン」の世界―等身大の物語―

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教員コラム

映画「アラジン」の世界―等身大の物語―

 今夏、ディズニーの実写版映画「アラジン」をワクワクしてみました。私自身小学生の頃、世界名作全集の中の「千夜一夜物語―アラビアンナイト」を読むのが大好きで、なかでも魔法のじゅうたんが出てくる「アラジンと魔法のランプ」の話は何度も繰り返し読んだ記憶があります。特に4年生の夏休みは町内対抗ドッジボール大会の練習のために毎日朝から昼まで練習、くたくたに疲れて帰宅した後、畳の部屋にねころんで昼寝兼読書をするのが私の日課だったことを良く覚えています。久しぶりにアラジンの物語に触れて、小学校4年の私があんなにワクワクしたのはなぜかなと少し探ってみたくなりました。

 私の小学4年の担任の先生はとても親しみやすく面白い先生で、写真や絵ハガキを見せながら色々な世界の話をよくしてくれていました。西日本の地方都市に住んでいた私にとって、京都や東京はすぐにはいけない遠くに位置する場所、中国やインドはもう少し遠く、アメリカやイギリスはもっと遠くて行けるかどうか分からない所という位の自分の視点を中心とした分類はありましたが、アラブの世界は、教科書にも出てこないような全く未知の領域でした。自分の手の届く世界を全体から見てみたいといった好奇心がかきたてられて地球儀が欲しくなったのもこの頃だと思います。

 小学4年生頃になると、自分のいる周りの世界はもっと大きな世界の中の一部にすぎないこと、自分の期待がいかに膨らんでいてもそれが現実に可能かどうかという視座で物事を見ることも増えてくることなど「現実原則」の際立つ頃です。描画においても小学4年頃になると現実を映し取る写実的な描き方をするようになるようです。ですから、その頃の子どもにとって「おはなし」は「本当ではないこと」と感じられています。

 その一方、学校の怪談や幽霊の話がとても作り話や嘘とは思えないほどリアルに感じるのもこの頃からではないかと思います。そこには現実原則から切り捨てられた怒りや嫉妬といった感情がまとまりのつかないまま漂うような世界があります。そして、その中からお話(すなわちファンタジー)の世界もくっきりとその姿を現すように思います。

 ところでアラビアンナイトの「アラジン」は生きるために盗みを働いている貧しい青年です。しかし、彼が「ランプ」「じゅうたん」といった日常生活の中にあるものの中で、特別な力を持つものに出会い、助けられて途方もない力を発揮し、ジャスミン王女にも助けられて巨悪に対抗することができるというファンタジーが展開します(ディズニー映画実写版のジャスミン王女の凛とした佇まいは秀逸、それに比べてアラジンは少々軽薄ですが)。王者となるのにふさわしい精神をアラジンに解き明かしているのは魔神が貫く友情であるというのが実写版のコンセプトかな?と思えてきます。ちなみに「じゅうたん」はアニメ版の方が柔らかな動きで生き生きと感じます。さすが絵に魂を入れ込むディズニーアニメだなと感心します。

 子どもが自分にとっては現実から遠い「おはなし」、すなわちファンタジーの世界のできごとであることを十分理解しながらも、それだからこそ現実世界とファンタジーの世界の二つの世界で十分に生きていると実感できるのではないかと思えてくるのです。こうしてみるとアラジンは奇想天外な物語に見えて実は「等身大のファンタジー」ではないかと思えてきます。ぜひ皆さんアラビアンナイトの不思議な世界を味わって下さい。新しい何かが見えてくると思います。

徳田仁子(201994)