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教員コラム

賢い馬ハンス

20世紀初頭のドイツで、計算したり時計を読んだりする能力を持った馬がいることが大きな話題となりました。飼い主であるヴィルヘルム・フォン・オステンは数学教師でもあり、このハンスと呼ばれる馬に、4年間、計算や読解力や音楽などの授業を行っていました。ハンスは質問に対して、うなずいたり、首を横に振ったり、答えの数だけ蹄(ひずめ)を踏み鳴らしたりして答えることができ、このことは世界中の新聞で取り上げられ、センセーションが巻き起こりました。
 
1904年には心理学者を長とする13名の専門家チームによる調査が行われましたが、大方の予想を裏切り、トリックもごまかしも一切ないことが明らかになりました。しかし後になって調査委員の一人であったオスカル・プフングストは、出題者自身が解答を知らないときにハンスは問題を解くことができないことに気づき、再度調査を行ってハンスの能力を突き止めることができました。つまり、ハンスは出題者自身も周囲の誰も気づいていない微細な体の動き(ごくわずかに顔を上げるなど)を察知して答えていたのです。たとえば、4×3という問題が出されたとき、ハンスは相手が自分に向ける期待、地面をたたき始め正解に近づいていく際の周囲の緊張の高まり、12回たたいた時の興奮や不安の質量の変化などを読み取ることができたのです。
 
結局、ハンスには計算や読解の能力はないことがわかりました。以後ハンスの話は、動物の能力や性質を実際よりも過大に評価してしまう例として使われるようになりました。ここから、動物が人間の顔色をうかがってその通りに行動しようとすること、たとえば警察犬が臭気鑑定の際に訓練士の反応に影響されてしまうといった現象をクレバー・ハンス現象と呼ぶようになりました。
 
しかしハンスの話から今日私たちが読み取ることができるさらに重要なことは、過大評価とはまったく逆で、むしろ人間は動物の能力をあまりに過小評価してしまっているということではないでしょうか。確かに馬には計算する能力はないか、あっても非常に乏しいでしょう。ですがハンスは通常の人間には想像すらできない相手の心を察知し読み取るという特殊能力を持っていました。馬同士ではそのような非言語コミュニケーションが行われているのかもしれませんし、このことだけでも驚きですが、さらにハンスはそれを人間相手にやってのけたのです。種属の異なる馬にできるのなら、人間同士でも可能かもしれません。人は生まれつき相手の感情を直感的に感じ取る能力を身に着けていますが、それだけではほとんど役に立ちません。感覚を研ぎ澄まし絶えず訓練することで、人の心への洞察力や共感性や思いやりの気持ちは著しく向上し、さらにきめ細かく洗練されたものとなっていくことを、ハンスの話は教えてくれているように思います。
 
 
参考文献
ユヴァル・ノア・ハラリ 『ホモ・デウス 上』柴田裕之訳、河出書房新社、2018年
 

            長田 陽一(2019年11月21日)