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遠隔授業初体験記

 私は1学年と2学年の「心理学基礎実習」、いわゆる1C組と2C組のホームルーム授業を遠隔で行っている。

 光華naviという掲示板に資料を貼り付ける。学生は資料を読み、課題を提出する。これを毎時間繰り返す。この二つの授業資料として、私の場合は、自分が教育雑誌や本学HP当コラムに投稿したエッセイを掲載してみた。学生の課題(宿題)としては、「感想文をメールで指導教員()に送ること」とした。学生から届くメールは手元の携帯で読み、コメントを返し、バソコンで出席登録できる。

 今まで、つまり新型コロナ騒動以前の対面授業では得られなかった経験ができた。

 まず、こんなに毎時間の授業(他にも授業はいくつか担当している)に教材を準備し続けることがなかった。次に、こんなに学生が出席の証とはいえ、フィードバックしてくれることはなかった。また、いちいち、一人一人に返信でフィードバックすることもなかった。へたをすると24時間の間に切れ目なく、授業の準備と出欠登録と採点と指導を続けているのである。

 この初体験は学生側にも起きているはずで、次々と遠隔でなされる課題に追われる毎日ではないだろうか。今までに無いほどの、すごい学習量の経験となるにちがいない。質的な問題は別として。

 また、いわゆるホームルームで新学期なのに学生相互、教員との対話が無い経験は、このまま続けば大きな教育経験の損失となるにちがいない。

 そこで、上記二つのホームルーム授業では、その時間90分の間には、私に電話をかけてきて雑談することをすすめ、電話を待つことにしている。なにも用件がないのに話しかけることは大学生から教員に対して、ほとんど無い。雑談をしかける相手としては教員は最も高い敷居の向こうにいる存在だろう。

 ところが、「話しかけてくれるまで悠長に待つことを繰り返す」のが私の専門で、カウンセリングの傾聴パターンなのである。「聴いてもらう繰り返し」だけで心の病は癒えていく。その実践記録からなる私のエッセイを読むことを繰り返し、電話の向こうで待っている教員がその筆者であることを理解した学生から電話がかかりはじめているのだ。

 学生A「もしもし」筆者「はい やぶぞえです」AAです。なにをしゃべってもいいんですか」筆者「話してもいいと自分で思えることはね」

 このように、カウンセリングのパターン、相手中心パターンで聞いていくことになる。相手「  」自分「  」相手「  」の会話パターンである。

 通常のカウンセリングは1時間ほどになる。この授業では、次々と学生が電話してくるのだから10分までとしている。

 「雑談」がいちばん心の癒しには良いコミュニケーションだ。ためになる会話、役に立つ会話、議論、ディベートなどは、心を疲弊させると思う。聞いてもらったり、聞く側にまわったりが自然に行えればカウンセラーは不要となる。なにを話してもよい。話さなくてもよい。いっしょに居ることが究極の癒しの関係となる。

 こんな授業は、今までの対面授業ではなかなか実現しなかったと思う。

 しかし、逆に言えば、膨大な準備、課題、フィードバックは、学生と対面して密な教室で密な授業空間に同席しているだけでしなくてもよかったのだ。よけいな、瑣末な、準備と点検は、人と人が出会うだけで必要なくなるのである。

 出会い(エンカウンター)は心の癒しのキーワードのひとつである。働き方が今後、変わるだろう。在宅勤務が増えるだろう。たしかに、そうかもしれないが、人間くささのもつ素晴らしさをコロナウイルスなどに譲ってはいけないと思う。

はやくウイルスが収束して、皆でわいわい楽しめる生活が戻って来ることを、学生たちも待ち望んでいるにちがいない。

藪添 隆一(2020年6月9日)