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教員コラム

教員コラム(川西先生)

わが家のアニマル・セラピー(7)  ~ソラの願い、私の願い~

ソラが2歳の頃、犬仲間からドッグ・スポーツを一緒にやらないかと誘われたことがある。ソラが公園の滑り台などで器用に遊ぶ姿をみて声を掛けてくれたのだ。試しにドッグ・スポーツ大会を見に行った。すごいパフォーマンスをソラはジ~と見ていたが、10分くらいすると「さ~帰ろう!」と言わんばかりに駐車場へ凄い勢いで綱を引っ張った。「これは、お気に召さなかったな?!」と思い、断ってしまった。ま~仕事が忙しくて、時間的・体力的に私のほうにも無理があったのだが。

10年ほど以前のこと、公園で執拗に厳しく犬のしつけをする人がいた。その人は、「まて」「こい」など基本的なしつけ以外に「背中に乗る」など競技用?とも思える行動を犬に命じ、できないと犬を蹴ったり叩いたり、持ち上げて地面にたたきつけたりしていた。他の犬が近づくと「しつけの悪い犬を近づけるな!」と飼い主が怒鳴られた、犬同士は特に喧嘩モードでもないのに。「あの人、ロボット飼えばいいのに、犬はロボットじゃないよね?!」など犬仲間の人たちは口々に話していた。でも、私が気になったのは、その人の犬が『ちっとも楽しそうでない』ことだった。犬を飼う時、確かにしつけは必要だし、ドッグ・スポーツなどでは高度な技を訓練される。しかし、少なくとも私が見たどの犬も楽しそうに訓練や競技に励んでいた。その楽しさは愛情や信頼関係を基盤に、犬と飼い主の願いが一致していることによるものだ。そんなある日、遂にその人の犬が脱走していなくなった。その人は、私たちに尋ねることもできず必死に探していた。

ヒギンズ(1987)のセルフ・ディスクレパンシ―理論によると、なりたい私(理想自己)とありのままの私(現実自己)がズレると、理想や願望が達成されない状態となり、悲しみや不満足などの失意落胆関連感情が起こる。 理想自己には重要他者の理想も含まれる(例、母がそうならせたい私)。犬は、飼い主との関係の中に愛情や信頼があれば、飼い主のために頑張る動物である。私はふと思った、どうしてその人はそんなに犬に厳しく接していたのだろう?その人は、犬を自分のストレスのはけ口にしていたのだろうか?あるいは、自分に自信がないからその反動で自分の権力を振りかざす(=絶対従う)何かがほしかったのだろうか?いずれにしても、その人の願いと犬のパフォーマンスは完全に食い違っていたし、犬の願いとも行き違っており、互いに苦しかったに違いない。あれだけ必死に探していたのだから根底に愛情はあっただろうが、その犬は飼い主のための散歩や訓練としか感じられず、その人の愛情を察知する余裕がなかったのかもしれない。

うちのソラは今日も母と姉の真ん中でのんびりお昼寝中である。最近ソラは、食卓で座っている私たちの膝に顎をのせて上目づかいでじ~っとみる技をあみだした。このかわいい

ポーズに母や姉はメロメロで、すぐに自分の食べ物を与えてしまう。ソラはドック・スポーツなどには精通しなかったが、愛される技を日々自ら開発し、家でも公園の犬仲間とでも楽しそうだ。私にとって、ソラがゆかいに暮らしているのが1番で、その姿をみるのが好きだし、癒される。たぶん、これはソラの願いと私の願いが一致しているからだと思う。

(引用文献)

Higgins, T.E.,(1987) Self-discrepancy : A theory relating self and affect. Psychological Review, 94,319-340.