食欲の秋ですね。
今回のブログでは、ラーメンと心理について、お話をしようと思います。
と言っても、私は、ラーメン初心者で、その道に明るいわけではありません。ただ、ここ数年、ラーメン通の知り合いに触発されて、名店のラーメンを食べ歩くようになり、この記事を書いてみようと思いました。
【エピソード1】
そのお店は、今はもう営業していないのですが、この大学の近くに、一軒のラーメン屋さんがありました。そこで私は不思議な体験をします。
そのお店の味噌ラーメンは、うす味志向の私には、かなり塩からく感じられました。その一方で、化学調味料のもつ棘(とげ)がなく、お味噌の風味も豊かで、「心をこめて丁寧に作られている」ことが伝わってきて、何だか温かい気持ちにすらなるのです。塩加減が好みではないので、美味しいと思っていたわけではありません。(お店の方、ごめんなさい。<(_ _)>)それなのに、なぜかその後も、私は、何度もそのお店に足を運びました。
振り返ってみると、当時忙しかった私は、心の疲れを癒すために、お店の方がその一杯のラーメンにこめた「心」に会いに行っていたのかもしれません。ラーメンに限らず、料理には、「栄養補給」や「楽しみ」以外に、「非言語コミュニケーション」という側面もあるのだと思います。
【エピソード2】
少しずつですが、名店と言われるラーメン屋さんに何軒も足を運んでみて、一つ気がついたことがあります。それは、「また食べたい」と思うお店と、「多くの人が美味しいと思うのはわかるけど、もう来ないかも」と思うお店があることです。もちろん、これは好みの部分が大きいと思います。ただ、「味」とはまた別の観点があるようなのです。
単に私の好みの話で恐縮ですが、「もう来ないかも」と思うお店の「味」は、かすかに化学調味料を効かせたような、誰もが美味しいと感じるようなまとまりがあり、味のバランスは整っています。一方で、素材本来の味が捉えづらくなる傾向があります。うまく言えないのですが、味覚が攪乱される感じで、素材の旨味が楽しめなくなるのです。
この体験から、私は、臨床心理学者の河合隼雄さんが本に書いておられた「自然(じねん)」という言葉を連想しました。「自然(じねん)」とは、「人間的な作為の加えられていない、あるがままの在り方」を意味します。よく「素材の味を生かす」という表現が使われますが、私が名店に求めているのは、「素材が本来持っている力(=あるがままの姿)を存分に発揮している」ことへの「感動」なのだと思います。その感動をもう一度味わいたくて、「また食べたくなる」のだと思います。
実は、この大学から少し歩いた所にも、素材の力を存分に生かしておられる有名なラーメン屋さんがあります。そのお店のラーメンには、何度食べても「また食べたい」と思わせる「感動」があります。
京都光華女子大学 心理学科
鳴岩 伸生