京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 現実の壁を超えるイメージの効用について

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教員コラム

現実の壁を超えるイメージの効用について

2月13日の土曜日、烏丸御池ハートンホテルで心理学科2年生研修会が開催された。もう目の前に来ている来年度のゼミごとに円卓を囲んで卒業生、先輩の皆さんの体験やアドバイスを聴いた。

学生と共に教員の私も、聴いているうちにさまざまなイメージが湧いてきていた。イメージは、眠っているときも起きているときも湧いている。それが言葉として、絵として、音として表されると芸術作品となる。論理としてくみ上げられていくと思想となる。先輩の就職活動体験をイメージしていると自分なりの世界や将来が浮かんだのではないだろうか。

しかし、夢(ファンタジー)は現実に負けるとつぶれてしまう。つまり「現実を見せつけられ過ぎると夢がつぶれる」という<人間の原理>がある。先輩の体験談には質・量ともに豊富な現実情報があった。まだ現実に直面していないのに、いや、直面する前だから、よけいに緊張して、負けそうになった人もいたにちがいない。

そこで、そんな学生に教えたい<人間の原理>がある。それは、「夢を育てると現実化(dream come true)できる」という原理である。では、具体的な夢の育て方とはなにか?それは、文字通り、「夢をみる」ことである。積極的に夢(ドリーム)をみることである。

その一例として、拙著「グループ夢分析による学部生ゼミ教育の試みについて」から「C 子の事例」を紹介する。
C子は大学院の1次試験に落ち、落ち着きが戻った時に空しくなる。人生の先が見えなくなってしまう。この先、試験を受けずに旅をしようと思っていると、次の夢をみた。

<C子の夢1>
遺跡(洞窟)の調査に行く。・・・中略・・・
洞窟の中には、丸いガラス玉を何千何万とはめて並べた小山みたいなのが奥の上の方にあり、そこに女の子がいて「この中にもっと大きな神聖な玉がある」と言うが触らせてはくれない。というか近寄らせてくれない。私は洞窟に興味があったのでうろうろしていると、気付けばガラス玉がある小山の上の方にいて、さっきの女の子が私の手のひらに、その神聖な玉を他の小さなガラス玉といっしょにのせてくれる。私は神聖な玉だと聞いていたので「えっ、いいの?と思う。その玉は、今までに見たことのないくらい美しい深い青色で、とても澄んだ色をしていた。神聖な玉を壊さないように注意を払っていたら、手のひらから他の小さな玉が滑り落ちる。

この夢を見た翌日、申し込んではいた大学院入学試験を受ける代わりに島根を旅行する決意をする。1日目は出雲大社の大きなしめ縄を、2日目は鳥取砂丘を見たいと思う。原初の光景に触れた夢が現実の旅として行動化(acting out)することを促したのである。その証拠に、C子の旅行記は夢に近いレベルの経験に満ちていた。

<C子の手記「出雲と私」から>
<11月9日>島根には特急で行った。私は電車で乗り物酔いをすることはほとんどないのに、途中から気分が悪くなる。通り過ぎていく草が、窓ガラスに映った私の首を切っていくような感覚に襲われる。外の景色を見ながらこんなことを思ったことは今まで一度もない。出雲大社では、参拝するよりも先に、行く予定ではなかった古代出雲歴史博物館に急遽行くことにした。・・・ 中略・・・その特別展のメイン展示であると思われるケージの中に、夢で見た、神聖なガラス玉と同じ色をした勾玉を見つけた。私は驚いたからなのか、かなりの衝撃を受けて、意識しないと呼吸を忘れそうになった。出雲大社に行くとまず、おみくじを引いた。・・・中略・・・私のおみくじは「信仰なき人は手綱なき馬なり」という言葉であった。なんだか、手当たり次第大学院や就職試験を受けようとしていた私の事のような気がした。
帰途、車窓から瀬戸内海の夕日を見る。「何かが生まれるときは、こんな感じなんかな」と思い、ずっと凝視していた。我に返った時、この二日間は本当に現実だったのかどうかよくわからなかった。

手記に記された11月11日の夢
<C子の夢2>
鏡を見ると、自分の顔も鏡になっていて、何も映っていない。

生まれたてのC子には、まだペルソナが無い。これからは自分らしい顔を自分でつくっていくのだ。

<C子の手記「その後の私」>
今までとは違い、外にいる時は空気が身体の中に流れ込んでくるような感覚がするようになった。・・・中略・・・その次に、自分の周りにあるものが、すべて生きているような感覚におそわれた。

たましいに触れて生還したC子にとって、周囲は生命に満ちたアクチュアルな世界となる。アクチュアルな世界といえば、ゴッホの「ひまわり」の世界である。ゴッホはたましいに触れて死んだ。C子は出雲大社に守られて生還したと思う。

人生の節目をユング心理学では「死と再生」としてとらえる。古い自分が死んで新しい自分が誕生するのである。現実に挫折したとき、イメージを活性化させて、夢に導かれるように出雲の旅に出かけたC子は、出雲大社という聖なる場所で生まれ変わったようである。

<文献>
藪添隆一「グループ夢分析による学部生ゼミ教育の試みについて」
香川大学教育実践総合研究第22号37-50p. 2011年

藪添 隆一(2016年3月2日)