京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 研究について思うこと(前編)

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教員コラム

研究について思うこと(前編)

大学教員の仕事は大きく3つあります。「学生の教育」、「大学の管理・運営」、「研究活動」です。今回は研究について少し書いてみたいと思います。ただし、あくまで自戒を込めた個人的な思いとしてご理解いただけると幸いです。

まず何のために研究をするのか。研究にはしっかりした目標が存在するのが当たり前のように思いますが、実は研究者にとってもそれほど明確でないことが多いのです。あなたが行っている研究の、「さまざまな現象を説明しうる根源的なものに触れるような、いわゆる本質的な目標」はなんですか(宮野公樹『研究を深める5つの問い』講談社)と聞かれて、言葉に窮しない人の方がむしろ少数ではないかと思います。これは、「あなたの人生において仕事とは何ですか?」という問いかけと似ているかもしれません。ここでは研究者が置かれている現在の社会的状況については触れませんが、普遍的な視野をもった本物の研究を行うのは本当に困難な状況にあるといえます。

ですが、これは社会状況だけの問題ではなくて、研究者自身の問題でもあるのだと思います。研究者になるには、それぞれ自分が選んだ専門領域の中で訓練を受けます。この専門領域はどんどん細分化されて日本学術振興会の分類ではすでに300を越えています。そして多くの人はその専門領域の思考の枠組みでリサーチクエスチョン(研究テーマ)を立てることになります。自分が育った風土では専門の言葉も通じるし、研究成果も認められていくでしょうが、そこから一歩出て他の研究風土に入ると、ほとんど外国に来たような状況で相互理解は極端に困難になります。つまり自分のホームにとどまっていても、普遍的な視野を持った研究や、他の領域からも評価されるような研究はほとんどできないし、内部の交流しかない専門領域では領域自体の孤立や弱体化を免れません。

  《故郷を甘美に思うものは、まだくちばしの黄色い未熟者であ
  る。あらゆる場所を故郷と感じられるものは、既にかなりの
  力を蓄えた者である。全世界を異郷と思うものこそ、完璧な
  人間である》


これは柄谷行人の『言葉と悲劇』(講談社)に引用されていた12世紀ドイツのスコラ哲学者聖ヴィクトル・フーゴーの『ディダシカリオン』の一節です。私は「全世界を異郷」とするような超人にはなれないでしょうが、せめて「あらゆる場所を故郷と感じられる」よう努力をしたいと思います。

後編に続きます】

長田 陽一(2016年5月30日)