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教員コラム

「虹の橋」

我が家には3人の子供がいます(いました)。

 長男の十兵衛(愛称 ジュウ)、長女のミミ(愛称 ミー)、次男のボイジャー(愛称 ボイ)。そう、ヒトではありません。犬たちです。

 今日は、長男ジュウ(オーストラリアンシェパード)の話をしましょう。ジュウが我が家にやってきたのは、彼が、生後3か月のころでした。生まれは宮崎県。彼をもらい受けるにあたっては、書類審査と条件がありました。条件とは、伊丹空港までジュウを迎えに行くことです。ジュウは宮崎から飛行機に乗って1人(犬)旅をしてきたのでした。そこから電車を乗りつぎ、我が家まで来ました。

 それはそれは愛らしく、私たちは、初めて「親」になり、彼を溺愛しました。でも、溺愛するだけではジュウの成長にとってよくないので、6か月になった時、犬の小学校(寄宿制 3か月)に入れました。会えない間は寂しくて、お父さんは途中で会いに行ってしまい、先生にひどく叱られました。

 3か月たつと、卒業試験があります。私たちも学校に行って、ジュウと一緒に試験を受けました。合格して連れて帰る気満々だったのですが、ジュウは落ちてしまったのです。正確に言うと、ジュウが落ちたのではなく、飼い主の私たちが落ちたのです。ジュウはしっかり「待て、座れ、来い」などの基本的な動作を覚えたのですが、飼い主の指示に従って同じことができなければなりません。それが出来ないということは飼い主がしっかりできていないからなのです。それから数週間後、2回目の試験を受けに行って、ようやくジュウは帰ってきました。

 ジュウが運動できるように、ウッドデッキに柵を付けました。しばらくして、先生の家庭訪問がありました。ジュウは「散歩が下手」でしたが、何とか合格をいただきました。

 それから、皆で旅行に行ったりして楽しく暮らしました。いろいろな事件も起こりました。「テーブルの上のチャーハンペロリ事件」「調理台のシチュー鍋ごとペロリ事件」「温泉宿での牛肉パクリ事件」などなど。でも、ジュウは賢く成長し、散歩に行く時「お父さんの帽子持ってきて」と言うと、帽子をくわえて持ってくるようになりました。

 やがて11年がたち、ジュウも歳を取りました。ある日、ひどいけいれんをおこして、遠くの大きな病院に入院しましたが、けいれんを止めるために鎮静をかけたまま帰らぬ人(犬)となりました。夜中に病院から電話がかかり、ジュウが亡くなったことを知らされました。翌日、ジュウを迎えに行き、泣きながら連れて帰りました。火葬にしてもらってお骨拾いをして、透明の瓶に入れて、毎日話しかけて泣いていました。

 そんな時、甥が「虹の橋」という絵本を送ってきてくれました。愛されたペットは、飼い主より先に亡くなると、虹の橋のたもとで、飼い主が来るのを待っているのだそうです。それを読んでまた泣きました。

 毎日毎日泣いていましたが、ジュウを送った時の約束で、保護犬の長女を迎えることになるのです。。。

 to be continued.


言語聴覚専攻教員
松田 芳恵