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教員コラム

一側性難聴について

 友達2,3人とランチに行くとき。店に入ってさっと見回します。空いているテーブル,混み具合,BGMや話し声。適当な場所を表情で了解し合うと,「私,ここに座ってもいい?」と声をかけて,友達よりも先に自分の席を決めます。私は左耳が聞こえないので,右側に友達が座ってスムーズに会話を楽しめるように,素早く判断して了解を得る。初対面の人がいれば「ごめんなさい,私左耳が聞こえないから,ここでいい?」と話す。大人になってようやく自然に身についた処し方です。

01 私は小学校入学前の検診で左耳の難聴を発見されましたが,原因はわからないままでした。親に連れられて病院を回った記憶はぼんやりとありますが,片耳が聞こえないことを不便だと思ったことはそれほどありません。同じ部屋に寝ていた親のいびきがうるさいときに,聞こえる右耳を枕に押しつけて寝ると便利だ,と思っていたことは覚えています。
 車道が左側で,母が左手をつないで歩くとき,私が何度も「えっ,えっ?」と右の耳を向けて聞き返してしまいます。「そんなに何度も聞き返すのはみっともないけえ,やめんさい」とよく言われました。子供心に,みっともないなら耳のことを言わないにこしたことはない,と思い始めました。
 聴覚障がいは外見からは見えにくい障がいの一つです。私は左の耳に補聴器もつけていないので,人から気がつかれることは全くありません。右耳は小さな音も聞こえるし,歌も歌えます。学校でのスクリーニング聴力検査でも,検査者のちょっとした視線をみたり,予測をつけたりしてボタンを押すことでほとんど通過してしまいました。
 中学時代は部活でバスケットをしていましたが,背もそれほど高くないので真ん中を走ってボールを回す役でした。右にはさっとパスが出せるけど,左はちょっと苦手というか,遅くなる。結局レギュラーになれず,高校1年で挫折したのですが,それを自分の中では左耳のせいにしました。本当は厳しい練習が嫌だった,というだけだったのに。

 大学に入って,初めて聞こえない友達に出会います。彼女Aさんは大学の授業がわからないという大きな壁をなんとかしようとしていました。高校までの教科書や問題集のある教科学習からうってかわり,大学では階段教室で人数も多く,教科書もなくマイクでぼそぼそとしゃべるだけの90分の講義。今と違ってパワーポイントや視覚資料も何もない時代でした。Aさんは周囲の学生に働きかけ始めました。50人という小さな学部でそのうち女子が12,3人。下宿をしていたこと,流行りの心理学には興味があまりなかったこと,などの共通点があってかなり早い段階で,彼女とつきあい始めました。週に1度夜の彼女の下宿に集まり,手話を覚え,大学と交渉し,ノートテイクや手話通訳を始めました。この時に初めて,自然に私も自分の左耳のことを周囲に言うようになりました。
 ここから始まって結局私もこの「業界」に足をつっこんだのですから,人生は面白いなあと思います。そして,この時の出会いは大きかった,と改めて感じています。

 「一側性難聴」について,私の経験から特徴を挙げてみます。

 02*音の方向がわからない
 耳が左右に二つあるのは,どこから音がしているか,という方向を自然に察知するためです。音源定位という言葉でも表します。例えば授業をするとき,生徒や学生には「発言するときは手を挙げるとか合図をしてくださいね」と頼むことがありますが,これは声の質だけではわからないからです。
 音の方向性は,危険回避とも関係があります。道を歩いていても,車などの音がどこから来るのかわかりにくいのです。一緒に歩いている人が「危ない!」と腕を引っ張ってくれることも何度もありました。車に乗るときは(日本車の場合)助手席に座っているのが心地よく,逆に自分が運転する側で助手席に人を乗せるときは緊張度が高まります。(私の自家用車の擦り傷が左側に偏っているというのは・・・これは耳のせいにしてはいけませんね)

 *雑音が不快
 授業中などの「雑音」はなんとなく落ち着きません。今はどの授業でも年度の最初にこのことをはっきり言います。体育館のざわざわのなかでのエコーのかかっているようなマイクでわんわんしゃべられるととても聞きづらくなります。
 笑い話ですが,この典型が「宴会」。友人とビールやワインを片手におしゃべりするのは大好きなのですが,大勢の宴会で多数のグループの会話に的確に入るのは苦手です。私の宴会パターンは右隣に座る人をターゲットにしてとにかく一対一の関係にしてしまうこと。飽きたら(失礼)その方を解放して次の方を呼ぶ・・または,宴たけなわになると席を自分で移動してねらった人の左に座ってまた一対一の会話を続ける・・というはた迷惑なパターンのようです。

少し聴覚障がい全般についても話題を広げます。

*明るく「自己開示」するとは・・・
 左から声をかけられて気がつかないと「無視された」と誤解されることが最も心苦しいことの一つ。だから周囲とのコミュニケーションを考えると,明るく「自己開示」しておきたい,と思います。
 冒頭のランチの場面や,授業を始める時。「左耳が聞こえません」だけを伝えるのではなく,「こっちに座るね」とか「手を挙げてください」と,どうすればよいかの具体的な方法をはっきりと示すことを心がけます。状況や相手によって言葉や伝え方を変えることも大事なことです。若い頃は「愛の言葉は右耳にささやいて」と自己紹介していた・・・なんていうことは,もう忘れてしまいましたが。
 バスケットをしていた頃,「隠せるものなら言わなくていい」と思っていた私が,なんとなくうまく折り合いをつけられるようになったきっかけは,前述の聞こえないAさんとの出会いでした。現在,様々な聴力の中高生を支援する立場になり,あらためてそのあたりの共通するポイントはなんだろうと考えています。
 障がいについての正しい知識をもつことはもちろんですが,それだけでは「伝える力」にはなりません。一つには,相手や状況の中で,どのような言葉でどのように伝えるかという言葉の力が必要でしょう。言語の運用力とでもいえばいいのでしょうか。「聞こえたふりをしないで『聞こえません。もう一度言ってください』って言ったらいいのよ」と聴覚障がいのある子どもに,先生がよく言います。でも,これもワンパターンで解決するようなものではないことは,子ども達が一番よく知っています。相手や状況に合わせるモードチェンジ力というのは,単に語彙や文法ではなく,ランチや会議やデートの時に実際に言葉を使う力です。
03 もう一つは,自分に対する内なる自信とでもいうものでしょうか。それを支えるのが「あなたがそれを言ってもいいのだ」という関係性の中での承認でもあります。これは自分一人でつけることができるものではなく,相手や仲間の存在に関わってきます。私はAさんと出会って,この仲間の中で「私の左耳のことも言えるんだ」と思い始めました。と同時に人の関係性が大切だと感じられるようになり,自分から集団や相手に関わっていく姿勢ができたのだろうと思います。
 親・家族から始まり,だんだんと人間関係を広げていく思春期以降。自ら選んだ集団の中で,自分が承認され,お互いを尊重する経験を積み重ねていってほしいものです。
 大学の授業の中で、聴覚障がいのある若者を,ゲストスピーカーに呼んだときのことです。彼は自分の生い立ちや出会い、今の仕事やサインダンスの活動などについて、明るく表情豊かに語った後で、「誤解されることを覚悟して,自分は『声』も出して話すことを選ぶのだ」といいました。聴覚障がいのある人の中の多くは,補聴器や人工内耳などを装用しても全ての音声が聞こえる人と同じように聞こえるわけではありません。反面,幼い頃からの療育・教育の中で,日本語のスピーチの力を身につけてきた人も多くいます。その中には,クリアな発音で周囲の人に話せば話すほど,「これだけ話せるのなら,この話し言葉が聞こえるのだろう」と思われ,配慮のない状況になることも多いのです。中には,この誤解を避けるために,場面によっては声を使わず手話だけで話をすることを選ぶ,という人もいます。
 聴覚障がいのある方も一人ひとりの考えが異なり,相手や状況の異なる中で,ゲストスピーカーの彼が言語聴覚士の卵である学生達に,はっきりと話してくれた言葉に,私は非常に感銘を受けました。彼の明るい表情の内部にある強さは、これから対人援助職に就こうとする学生達にも必要なものだと思います。

*おわりに
 一側性難聴は新生児聴覚スクリーニングで超早期に鑑別・診断される数が増えてきました。前述のように一般的な学校のスクリーニングでは必ずしも厳密につかめないところもありますが,その数は意外に多いと思います。私の乱暴な感触では数百人に一人ぐらい。中規模の学校であれば一人いる,という割合です。
 聞こえないか聞こえるかで分類されると「聞こえる」側になるのでしょう。英語のリスニング試験は,放送音源が良耳側にあるほうが望ましいですが,普通に音声で受けることができます。私は自分が高校から合唱を続けていることもあり,音楽も好きです。微妙なハーモニーもわかります。ただ,モノとステレオの違いはわかりません。
 現在、聴覚障がいの療育教育については、様々な実践や理論があり、なかなかナショナルスタンダードが見つけにくいのも現状です。その中で、大事なことは「聞こえる世界」と「聞こえない世界」が対立してあるのではなく、聴覚障がいはスペクトラム(連続体)であることや、それぞれの人の「聞こえにくさ」はその障がいの見えにくさと重なり合っている、という視点をもつことだと思います。であるならば、目の前の一人ひとりに向き合い、自分を表す言葉をていねいに受け止めて支援する姿勢。言語聴覚士自身が、そういう存在でありたいと思います。
 保護者・・というか,私のかつての「母」にという意味もこめて。「あなたはあなたの要求を口にしてもいいんだよ」ということを言ってあげてください。「何度も聞き返してもいいよ」私とあなたとのつながりの中で、お互いに豊かなコミュニケーションを求めたいと思います。

 言語聴覚専攻 高井小織