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社会福祉って何?

自分と他人の境界線がわからなくなる?~バウンダリーとは~

先生

突然ですが、華さんは「自分と他人の違い」を区別することができますか?

学生(華)

先生、何言ってるんですか。そんなの当たり前じゃないですか。

先生

それは良かったです。先生と華さんは他人ですが、もし先生が華さんの肩に手を置いたとしたら、華さんの肩と先生の手を区別することはできますか?

学生(華)

もちろんです。いくら接触していても、自分の体がどこまでかなんて当然わかります。

先生

そうですね。体が「どこまで自分か」ということは「皮膚」という境界があることで、わかりやすいですね。それでは、華さんは、「自分の気持ち」と「他人の気持ち」は区別することができますか?

学生(華)

え・・?できると思いますけど・・。

先生

では、例えばニュースで交通事故でお子さんを亡くされて、泣いている方のインタビューを見た時はどのような気持ちになりますか?

学生(華)

とても辛い気持ちになって、泣きそうになると思います・・。

先生

それはどうしてでしょうか?

学生(華)

ええっと・・その方の気持ちを想像したら、辛いなんて言葉じゃ言い表せないだろうなと思うし・・。

先生

そうですね。そうなると、華さんがそのニュースをみて辛い気持ちになったというのは、華さんの気持ちでもあり、その泣いている方の気持ちでもあるということですよね

学生(華)

そう・・なりますね。

先生

もう少し身近な例で考えてみましょうか。お友達が辛い思いをして泣いていたら、華さんはどうしますか?

学生(華)

もちろん話を聞いて、慰めます。

先生

お友達に「話を聞いてほしい」と言われなくてもですか?

学生(華)

当たり前じゃないですか!

先生

華さんは、辛い体験をしたときには友達に話を聞いてほしいですか?

学生(華)

そうですね。実際に友達に話を聞いてもらって励まされたことがあります。

先生

それはよかったですね。では、お友達が辛い思いをしたときに「話を聞いてもらいたいだろう」と考えるのは華さん自身の体験からであって、友達が実際にどう思っているかはわからないですよね?

学生(華)

そうれは・・そうですけど・・。

先生

それが悪いと言っているわけではありません。人は、自分の体験や価値観などをもとに相手の気持ちや考えを想像して、「こうしてほしいだろう」とか「こう思っているだろう」と考えます。その時、「自分の気持ち」と「他人の気持ち」の区別がついているといえるのだろうか?ということについて今日はお話をさせていただきますね。

さて、先ほど学生の華さんとやりとりをしたように、「自分の気持ち」と「他人の気持ち」というのは
実は混乱してしまいやすいのです。

華さんが言っていたように、自分がしてもらって嬉しかったことを他者にしようという方は多いでしょう。
それは決して間違ったことではありません。
友達関係であれば、その気持ちが嬉しいということもあるでしょう。
しかし、「自分がしてもらって嬉しかったこと」と「友達がしてもらって嬉しいこと」は必ずしもイコールではありません

辛いことがあったとき、「そっとしておいてほしい」という人もいるでしょうし、「話を聞くより、一緒にカラオケに行って騒いでほしい」という人もいるでしょう。
それでも「自分がしてもらって嬉しかったように」話を聞こうという発想になる人は少なくないでしょう。
「自分の気持ち」と「他人の気持ち」というのは違うということは、多くの人が理解していることのはずなのですが、それがわからなくなってしまうことは多いのです。

もう一つ例を挙げると、
友達と一緒に授業を受けるために、毎回、授業時間よりも早めに教室に行き、友達の席と自分の席を確保している学生がいたとします。
あるとき、いつものように席を確保し、友達を待っていると、友達は別の席に一人で座りました。
授業が終わった後、学生は友達に「どうして一人で座ったの?せっかく席を確保しておいたのに!」と伝えました。

このようなこと、みなさんは経験がないでしょうか?
相手のためを思って一生懸命やっていたことが報われず、「やってあげたのに!」と思うようなエピソードです。
これも、「自分の気持ち」と「相手の気持ち」が混乱している例になります。
席を確保していた学生と友達が、「席を事前に確保して一緒に座るようにしよう」と約束していたのであれば約束を反故にされたことに対して怒る権利がありますが、そうでないのであれば、友達がどこで授業を受けようが自由なはずです。
自分が友達と一緒に授業を受けたいという気持ちをもっていて、「友達もきっと同じ気持ちだろう」と友達の気持ちと自分の気持ちを同じように考えた結果、それが違ったことに腹を立ててしまったのです。

自分と他人の境界線のことを「バウンダリー」といいます。
バウンダリーにはさまざまな種類があります。

身体の境界、パーソナルスペースの境界(不快だと感じる人との距離)、持ち物の境界(誰の持ち物か)、責任の境界、思考の境界などなど・・。

そして、これらの境界は人によって異なります。
例えば持ち物の境界の場合、
自分のハサミを教室に置き忘れた時に、他の学生が勝手にハサミを使っていた時にどう思うでしょうか?
なんとも思わないという人もいれば、親しい友人であればかまわないという人もいれば、誰であれ不快だという人もいると思います。
これは自分の持ち物という境界に他者が侵入した例になります。

バウンダリーが緩い人は、このように境界に侵入されてもあまり不快に思わず、反対に人の境界に侵入してしまいやすい傾向があります。
反対にバウンダリーが保てている人は、境界に侵入されることに対してきちんと対応し、人の境界を侵入しにくい傾向があります。

バウンダリーは個人によっても異なりますが、相手との親密性によっても異なります
先ほどのハサミの例をあげれば、「親しい友人であればかまわない」というものが、相手との親密性によって異なる例です。

手をつなぐという行為も、ほとんど話したことのない他人とは抵抗があっても、恋人のように親しい関係であれば積極的にしたいと思うでしょう。
手をつなぐという行為は、パーソナルスペースという心理的領域に入り込む行為であり、ほとんど話したことがない他人が手をつなごうとしてきたら「パーソナルスペースを侵された」と感じるのです。
(本人の許可なく勝手に体に触れてくることは、身体のバウンダリーも侵すことになります)

そして、対人援助職において、このバウンダリーを意識することは非常に重要なことになります。
福祉職の場合は、利用者さんの生活空間や人生に入り込むことが多く、利用者さんのこころの状態に深く触れることもあるでしょう。
そうすると親密性が増し、バウンダリーが緩みやすくなると言われています。

しかし、支援者と利用者のバウンダリーが緩んでしまうことは非常に危険です。

例えば、身体介助をする仕事であれば、利用者さんの体に触れることが当たり前になってきます
そうすると身体のバウンダリーが緩み、最初は利用者さんに触れる際に「今から足を持ち上げますよ」など声をかけていたのに、いつのまにか何も言わずに利用者の身体に触れるようになってしまうかもしれません。
時には利用者さんの身体を乱暴に扱ってしまうこともあるかもしれません。

バウンダリーが緩むと「他者である」という認識が緩むことになります。
そのため相手の権利を無意識のうちに侵害してしまう危険性もあるのです。

相談支援の場合には、気持ちのバウンダリーを意識していなければ「やってあげたい」という気持ちが強くなりすぎてしまい、利用者さんのニーズをつかみそこねてしまったり、利用者さん自身が担うべき責任を支援者が肩代わりをして自立を妨げてしまう危険性があります。

また、支援者と利用者という枠組みを超えて、友達関係のようになってしまうと、言うべきことを言えなくなってしまったり、支援者が勤務外にサポートすることが増え、負担感を感じるようになってしまったりします。

バウンダリーをしっかり保つためには、分の気持ちをはっきりと表出することと、相手の気持ちを大切にすることが大切です。
「勝手に触らないでほしい」「私はここまでしかできない」など
自分のバウンダリーを周囲の人にきちんと伝えることがまず第一歩となります。

そして、他者から同じように言われたら
「なんでそんなことをいうの!」と怒ったり「親切にしてあげたのに!」と不満をもつのではなく、自分が相手のバウンダリーを犯していないかを振り返ることが大切です。

人に気を使いすぎてしんどい、人が思い通りにならなくて腹が立つ、人との距離感が近いと言われる等々という方々は、バウンダリーが緩んでいる可能性があります。
自分と他人の境界線を意識することで生きやすくなり、他者との関係も良好に築くことができるようになります。

支援者になるうえでも重要な概念ですので、ぜひ知っておいてください。

浜内彩乃


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