京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 全部わかってもらえる経験について②

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教員コラム

全部わかってもらえる経験について②

①からの続き

 

この場面は、昔のアメリカ映画「キングコング」で、女の子を手のひらにとらえるシーンを連想させる。しかし、キングコングは女の子に怖がられてしまっていた。自分を怖がる対象に心が通わない悲しいキングコング。

トトロは森の主である。祈りが通じると、細かい説明は無用なのである。全てを、一瞬にしてわかるのである。サツキの方から言えば、「全部わかってもらえたこと」が、言葉無しにわかったのである。トトロの「意味不明」な笑顔と雄叫びは、抱っこ(holding)とともに無条件の了解(unconditional understanding)をあらわしている。

「意味ある」笑顔は、特定のことがわかったことを表す。「意味不明な」笑顔はすべてのことがわかったことの表れなのである。トトロの雄叫びは猫バスを呼ぶ咆哮でもある。猫バスはトトロの分身である。この猫の笑顔もまた意味不明であり、頼もしい。以心伝心で行きたい所が行先として「わかってくれる」バスなのだ。

サツキはバスに乗り込む。トトロに見送られて猫バスはメイのいる場所に向けて疾走する。メイは道に迷い、道端で途方に暮れている。誰もいない田舎道。ただ、その道端にはお地蔵さんが並んで見守ってくださっている。どこからか自分の名を呼ぶ姉の声。声のする方を見上げると電線を線路のように伝って来た猫バスが、姉と共に自分を見下ろしているではないか。道端からはお地蔵さんに見守られ、上空からは猫バスに見守られていたメイは「守られた子ども」だったのだ。

メイが猫バスに乗り込んだシーン。やわらかくて包み込まれるような座席は母親の胎内のような、というより生きてあたたかく息づいて動いているようなのだった。トトロのお腹、抱っこ、猫バスに乗ってサツキも守りの中にいる子どもになっていたのだった。全部わかってもらう経験とは丸ごと自分が守られる経験なのである。この守りを「母なるもの」の守りと言おうか。

 

藪添隆一(2018年6月12日) 

 

③へ続く