「自分の進路がわからない」「自分が何に向いているかわからない」と悩んでいる学生に「好きなことを選べばいいよ」とアドバイスしてみたら、「好きなことが無いから困ってるんです」と泣き出した。
そうか、好きなことが無いのか。好きなことが無い自分に気がついて、悩んでるのか。
何が好きなのか?何もかも好きになれない。これは「若者」の特徴である。
好きなことが無いから困っている人は「若者を生きている」人なのだと、私は気がついた。
最近、内田裕也さんが亡くなった。奥様の樹木希林さんが亡くなってから一年が経って、後を追うようにあの世に行ってしまった。
「俺はロックンローラーだ」と、内田裕也はいつも言っていた。「俺は若者だ」と叫びながら生きていた。
「品行方正な、大人が期待する人間像」も、年が若いうちは若者と呼ばれることはある。しかし、裕也さんの「ロックンローラー」とは「バカもの」に近い「ワカもの」を意味する。自分のバカさ加減にうんざりしながらも、他者のバカさ、オトナのバカさが癪にさわるのが「若もの」の内面なのだ。
特に、若者文化が大衆化したのが第二次大戦が終わってからの現代である。
「大人」の音楽として戦前・戦中の「ジャズ」があった。戦後、ジャズに代わって「ロック」が台頭する。エルヴィス・プレスリー、ビートルズが一世を風靡した。
映画では「エデンの東」のジェームズ・ディーンが「若者」を象徴するキャラクターとしてスターとなる。
小説では、戦場から復員したばかりのJ・D・サリンジャーが「ライ麦畑でつかまえて」を書き、主人公ホールデンの内的世界、「若者」を描く。
エルヴィス・プレスリーが腰をくねらせてアピールしながら歌うのを当時のオトナは眉をひそめただろう。セックスアピールは女の専売特許だったからである。マリリン・モンローが歌うのはオトナたちのみとめるところだったが、男のエルヴィスがやると、「けしからん」とひんしゅくを買ったわけである。
藪添隆一 (2019年5月7日)