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教員コラム

夢の意味(後編)

前編からの続きです】

夢に意味があるかないかということについて、現在のぼくは、夢にはまだ解明されていない大いなる謎と秘密があると思っています。少なくとも、覚えているかどうかは別として、まぎれもなく夢は人生の一部です。仮に75年生きるとして、そのうち1/3の25年間が睡眠に、そして夢を見ている時間は(レム睡眠を一日2時間として)実に6年以上にもなるのです。

科学的な研究では、夢を見ることは心の休息にとって必要であると考えられています。また、夢は記憶の整理と定着にとって重要だという説もあります。心(脳)に貯蔵されている記憶の断片は、脳内の神経ネットワークと同じように単独で存在するのでなく、網の目のようなつながりの中に存在しているのでしょう。おそらく、ある記憶(たとえば犬という観念A)は、これまで関わってきた複数の犬に関する記憶の中継点や結節点になっていて、たとえばダンという飼犬の記憶が想起されようとすると、数珠つなぎに別の犬(たとえばタロー)の記憶やそれとつながっている様々な体験も呼び出されるのだと思います。

これはぼくの仮説ですが、この時の犬という観念Aは額縁のようなもので、その中にいろんな絵(ダン、タローなど)をはめ込むことができると同時に、他の観念(B, C, D…)にとって観念Aは絵になっているのだろうと思います。言い換えれば、記憶痕跡とは、観念の枠組みかつ内容であり、ある観念が想起されるときに必ず通過する情報の中継点かつ保存場所なのです。こうして、これまで無関係に存在していた記憶の断片の間に新しい関連がつぎつぎに生み出されていきます。まさしくこれは創造のプロセスに他なりません。

夢の中で、人は記憶の間にたえず新しい関連を作り出し、自分をめぐる物語へと再構成し、そのたびに自分自身を創造しているのです。非常に大雑把ですが、こうした考えをもとに、心理学で連想(連合)と言われるプロセスや、忘却(夢の大事な特徴である忘れやすさ)について考えてみたいと思っています。

長田 陽一(2015年12月15日)

ルネ・マグリット 「魅せられた領域」