京都光華女子大学 健康科学部 医療福祉学科 言語聴覚専攻 ニュース お母さんに想いを馳せてみる・・・朝ドラ「半分、青い。」から・・・(その1)

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教員コラム

お母さんに想いを馳せてみる・・・朝ドラ「半分、青い。」から・・・(その1)

4月から始まったNHKの朝の連続テレビ小説「半分、青い」をドキドキしながら見ています。一側性難聴のことがドラマで扱われるというのは、初めてのように思いますがどうでしょうか。

両耳の聴覚障害(生まれつき高度以上の聴覚障がいは800~1000人に一人の出現率)に比べると、一側性難聴の数は多いのですが、あまり話題になることはなかったように思います。現在では、クロス補聴器や人工内耳などの選択があるとされていますが、実際に装用している人に出会ったことはありません。また、片側が聞こえていると聞こえない側に補聴器をつけることはめったにないので、本人が言わないかぎり、周囲が気づくことはほとんどないでしょう。このテレビの反響で「私も~!」「身近にいるいる!」と声が上がっていることは、面白いことだなあと思っています。

主人公の鈴愛(すずめ)は小学3年生の時、ムンプス難聴(※)で左耳の聴力を失います。時は1970年代。若干私のほうが古いですが(つっこまない)、昭和の味がたっぷりでている時代背景にも親近感をもって見ています。

※ムンプス難聴…おたふく風邪の原因であるムンプスウイルスに感染した際の合併症の一つ。


診察室で両親に説明する耳鼻科医のセリフです。

「片方の耳だけでは、遠近感や方向感がわかりません。『気配』も感じられません。沢山の人がしゃべっている時や、音楽やテレビと一緒の時のおしゃべりは、全くわかりません。話しかけないでください。」

たたみかけるように告げられて、「全くわからないって決めつけないでよ~。気配って何よ~!」とつっこみたくなりました。

私の左耳が聞こえないことがわかったのは、小学校の就学前検診です。朝ドラの主人公鈴愛(すずめ)と比べて3年幼いので、自覚がほとんどありません。ムンプス難聴のように急な失聴かどうかもわかりません。状況証拠として4歳の時に大きな病気をして強い薬を使ったということがあるだけです。鈴愛は「左の耳の中で小人が踊っている」と耳鳴のことを表現していますが、そういう記憶も一切ありません。ただ、就学前検診でわかったあと、大学病院など何カ所も病院を回り、漢方薬のようなものを飲んでいた時期がありました。

母親に手を握られながら、いろいろ行ったなあ・・・とテレビを見ながら思い出しました。だんだんと自分が半分聞こえないことを自覚していくのですが、その頃の母親の表情や心情などの記憶はなく、成人してからも話題にしたことはありません。「聞き返しんさんな。みっともないけえ」母親にそう言われたことがあります。小学校3年の時学級委員だった私が、母にクラスの問題を打ち明けると「小織がちゃんとせんといけんよ(ちゃんとしなさい)」と言われました。母には私のできないことをいつも叱られる・・・私はいくつかのシーンだけをかたくななまでに覚えていて、大人になっても母親をどこかで煙たがっていたのです。それは、本来の母のキャラクターではなく、娘からみたにすぎない一面的な人物像だったのだろうと薄々気がついたのは、成人してかなり過ぎてからのことです。

 

ショックで涙を流していた母親が、家族や周囲の関わりの中で、少しずつたくましくなり、受け止めていく。朝ドラの母親役を見ながら、私は自分が見てきたことの狭さに今更ながら気づいてしまいます。私の前では、母は私の左耳のことを嘆いたり、かわいそうな様子を見せたり、心配したりということはしませんでした。母は学校の担任の先生等にそのことを伝えてくれたりしたのか・・・それも知りません。私の左耳についての母親の心情など、テレビを見るまで想いを馳せたことはなかったのです。

私の母は、小学校の教師をしていたとき結婚したのですが、第一子を死産に近い形で亡くしました。もうすぐ生まれてくる頃だったのに、勤務中の事故のようなものだったと聞いたことがあります。その2年後に生まれたのが私です。子どもの頃それを知ったときには、クソ生意気な弟ではなく、優しい兄がいたら・・・とよく想像したものです。しかし、ようやく授かった幼い子が大病をし、左耳が聞こえないとわかったときの心情はどんなだったのか。今に至るまで母親に聞いたことがないというのは、私の職業上から考えても情けないことですね。現在広島で暮らす85歳の父と83歳の母。元気なうちに聞いてみたい、聞かなければいけないと思うのですが、どうも・・・素直に言葉にだせない「娘」の私がいます。

 

つづく。
お母さんに想いを馳せてみる・・・朝ドラ「半分、青い。」から・・・(その2)