京都光華女子大学 短期大学部 ライフデザイン学科 ニュース 天皇のみが着用できる謎多き色彩「黄櫨染」 その1

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天皇のみが着用できる謎多き色彩「黄櫨染」 その1

こんにちは。ファッション分野担当教員の青木です。

少々古い話になりますが、新年号「令和」のスタートとなった2019年は、天皇を始めとする皇室の方々が参列する重要な祭事儀礼が数多く行われた年でもありました。そういった儀式の中で、天皇が着用されていた「黄櫨染御袍(こうろぜんごほう)」という装束によく話題が向けられていたことにお気づきの方も多いかと思います。深い赤茶系の色に染め上げられた「黄櫨染」という色。この色彩は古来天皇しか着ることのできない、「絶対禁色(ぜったいきんじき)」と呼ばれる特別なものだ、ということはご存じでしょうか。

 

色と位

さかのぼることちょうど千二百年前、西暦820年に当時の嵯峨天皇が、「重要な儀礼や会議の際は黄櫨染の衣を着用する」と詔(みことのり、天皇が自ら宣言する決まり事)で述べます。この時から、黄櫨染という色名が宮中の舞台に一気に躍り出るのですが、この詔は大変にエポックメイキングな宣言でした。

話は変わりますが、「冠位十二階」という単語を覚えていらっしゃいますか。朝廷に仕える貴族を12の等級に分け、地位を表す冠位を授けるという西暦603年に制定されたこの法令は、中学の歴史の教科書にも出てくる、いわば日本で最初の公式ドレスコード集です。このドレスコードの重要なポイントは、「色」。位の上下が、染められた色彩で示される、というものです。この冠位十二階は43年後に「冠位十三階」、更に「冠位十九階」、「冠位二十六階」、「冠位四十八階」・・・と、時代に沿って細分化されアップデートされて行きますが、全ての法令において色彩と位はやはり密接な関係となっています。日本では、色彩が単に美や豪奢さを表現するだけでなく、地位やTPOと今も深く関係している理由は、今から千年以上も前に作られたこれらのドレスコードたちの名残なのでしょう。


京都市内の人形師による黄櫨染御袍を着用した京人形

絶対禁色の意味

そして、面白いことに、これら冠位に関する決まりの中に、天皇が着用すべき色に関する記述はひとつもありません。天皇は一般人とは違う現人神(あらひとがみ)なので、ドレスコード化するのは不謹慎、といった意味合いがあるからなのかもしれませんが、いずれにせよ、古代の天皇がどのような色の服を着ていたかは、残念ながら公式文書で明示されてはいません(実は状況証拠のようなものはありますが)。そして、天皇が着る服に関しての初めての記述が、先に挙げた嵯峨天皇自らの宣言でして、それは、服のデザインについてでもなければ織柄についてでもなく、「黄櫨染」という、やはり色彩のことを示していたのです。

先に挙げた、様々な冠位に関する法律。これらは時代の変遷に沿って色彩と位の関連が少しずつ変化していきますが、概ねその順番は位が高いほうから紫、赤、緑、縹(藍で染めた色)、といった色系統の順です。そして、自分の位に見合った色よりも上位の色が、いわゆる「禁色(きんじき)」。例えば、茜で染めた緋(あけ、赤系統の色)を着ることを許された冠位の貴族にとって、ムラサキの根で染める紫色は禁色、高根の花というわけです。そこには非常に厳格なドレスコードが存在したのですが、逆に言えば、これらの色は頑張って出世すれば理論的には誰もが着ることのできる可能性がある色彩でもあるわけです。ですが、黄櫨染はなにせ天皇が御自ら「自分が着るぞ!」と宣言した色名です。現人神は私たち一般人からみたら絶対的高位にいます。すなわち、天皇が宣言した色の衣は冠位がいくら高くても着用できません。そこから、黄櫨染は「絶対禁色」とも言われるようになりました。


紅葉したハゼの葉 葉ではなく幹部分を染料に使用します

 

このわが国で最も高位な位置にある黄櫨染、実は、レシピが残っています。西暦927年に編纂された「延喜式」という書物によると、ハゼとスオウと灰(椿の灰)を使って染める、とあります。次のブログでは、黄櫨染の染め方や実際の染め色についてのお話をさせて頂きます。

⇒つづく