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2025.10.01 専門分野コラム天皇のみが着用できる謎多き色彩「黄櫨染」 その3 ~謎とは?
⇒「天皇のみが着用できる謎多き色彩「黄櫨染」 その1 はこちら!
⇒「天皇のみが着用できる謎多き色彩「黄櫨染」 その2 はこちら!
こんにちは。ファッション分野担当教員の青木です。
その1、その2で解説してきました「黄櫨染」という色名はその字のごとく「ハゼで染めた色」という意味です。ですが、その2で染め方を簡単に紹介しました通り、実際にはハゼだけでなくスオウも使って、二つの染料で染め重ねをすることで作られる複雑な色目です。それは、平安時代の法律施行細則集である延喜式に“黄櫨染は櫨と蘇芳で染める”と記録されているからです。まずはその延喜式の記述を見てみましょう。
延喜式に遺された黄櫨染
延喜式に書かれている黄櫨染のレシピは次の通りです。
「黄櫨綾一疋。櫨十四斤。蘇芳十一斤。酢二升。灰三斛。薪八荷。」
訳:綾(織柄入り絹地)を一疋(当時の反物の単位)、黄櫨染に染めるのに、ハゼ14斤(きん)(重さの単位)、スオウ11斤、酢2升、灰3斛(こく)(体積の単位)、薪8荷(か)(重さの単位)を使う
これだけです。以前のブログで「延喜式にはレシピが遺されている」と言っていますが、実際には材料リストの記述しかありません。実はこの記録、非常に言葉足らずでして、例えて言えば、作り方も、写真も、そして“つくレポ”も無い、食材の分量だけが書かれた不完全なクックパッドのようなものなのです。
この記録、レシピとしては不親切極まりないのですが、それでも何も書かれていないよりはずっと有益です。江戸時代以降、研究家たちがこの染め方を色々調べ続けていまして、そのおかげでいくつかわかっていることはあります。例えば「灰」は、延喜式とほぼ同時代に編纂された「和妙類聚抄(わみょうるいじゅうしょう)」という当時の百科事典を紐解くことで、これはヒサカキや椿の灰で、媒染という天然染料特有の工程に使用されることが明らかになっています。また、斤や斛など当時の単位を現代の単位に換算する計算式もある程度わかっていますし、酢は延喜式の他の記述などからスオウで染める際の助剤だろう、ということも推察できます。薪は染色に必要な火を熾(おこ)すための燃料でしょう。

延喜式の記載にできるだけ近い方法で染色した黄櫨染の絹地。古代の染色手法にはまだまだ程遠いですが・・。
謎だらけの黄櫨染
ですが、それ以外は全く分かっていないのです。まず、染色時間や染色温度(温度計のない時代ですのでそもそも記録不可能ですが)については全く不明です。また、ハゼ(約9.5kg)とスオウ(約7.4kg)の使用量が大量なのでおそらく全部で20回以上染めていると思うのですが、どういった順番で何回染めているのかもわかりません。このあたりは黄櫨染に限ったことではなく、延喜式に記載されている他の色全てについて同じことが言えるのですが、黄櫨染は更に、“ハゼの幹使用部位問題”、“ヤマハゼvsリュウキュウハゼ問題”、“「荷」の分量問題”、“黄櫨染と言いながらなぜスオウを使うのか?”、“スオウの分量が異常に多いのはなぜ?(そのままの分量で普通に染めると赤になってしまう)”などなど謎が山積みで枚挙にいとまが無い色なのです。謎の中には仔細なものもありますが、こういった細かい点が私たち染め屋にとってはとても重要でして、この解釈の違いによって仕上がりの色が違ってしまうことが往々にしてあるのです。

切り倒されたハゼノキ。ハゼの黄色い芯を使うのか、樹皮を使うのか、確実にはわかっていません。
写真提供:松山櫨実行委員会
古代の染めは謎に満ち溢れ・・
黄櫨染をはじめとする古代の染色手法の殆どは少なくとも江戸時代以前に途絶えてしまっており、現代では染色家によってそれぞれ解釈が異なり、結果として黄櫨染の復元カラーが各々違ってしまっている、というのが実情です。今上天皇が令和元年にお召しになった黄櫨染御袍と、平成2年の即位の礼の際に今の上皇がお召しになった黄櫨染御袍では、色が若干違います。どなたの手によるものなのかわかりませんが、このたった30年の間でもおそらく染め手の解釈が違うのでしょう。そして、正解は残念ながら千年以上も前に作られた今は見ることのできない幻の色なのです。
もしタイムマシンがあれば、真っ先に上代の染め場を覗きに行きたい、と私はいつも思っていますし、世の染色家の方々もおそらく同じ気持ちなのではと思います。黄櫨染をはじめとした上代の染め色は、そんな気持ちを掻き立てる魔性の幻惑プロダクトなのです。
~おわり~
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