京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 尾木ママ先生の講演を聴いて(前編)

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教員コラム

尾木ママ先生の講演を聴いて(前編)

10月2日、人間関係学会講演会として招いた尾木ママこと尾木直樹先生の講演を聴いた。

会場の東本願寺親鸞交流館は、まだ木の香りが漂っている新築の会館で、ロビーからは東本願寺の北側の道、外壁、その向こうに屋根瓦の一部を望むことができ、外国人観光客の行きかう京都らしい風景である。

「尾木ママ」というニックネームは明石家さんま氏がつけたのだと思う。さんま氏はテレビのバラエティー番組に大学の先生たちをゲストとして招き、専門的知識ばかりでなく先生たちのキャラを引き出して笑いをとる名人である。

尾木先生の専門性は学校教育や家庭教育にあるが、教育評論家としての本領は「優しさ」にある。その話しぶりは、いわゆるお姉言葉によるユーモアで人々に安堵感と笑いを誘う。テレビ番組のレギュラーとして売れっ子の尾木ママ人気はさすがと言おうか、当日は一般予約市民が大勢、来てくださった。講演のテーマは「子どものこころに寄り添う」だった。

私の専門は臨床心理学で、特に教師としての経験をベースにしている。尾木先生も教師としての経験をもとにしていて、おそらく私と同じ思いで学校現場に働いておられたのかと思われた。それとともに、オリジナリティーあふれるコミュニケーションのコツを盗ませてもらった。

尾木先生が中学校の教師だったときの話である。
朝からむしゃくしゃして校舎の踊り場でガラスをたたき割った男子生徒がいた。そこに通りかかった尾木先生は生徒に尋ねる。

「どうしたの?」

生徒は、その朝、理不尽な叱責を親から受けたことなど、憤懣やるかたのない心の内をまくしたてる。その憤懣が爆発してガラスを割ったのだ。尾木先生は生徒の話を聴きつくしてからこう言う。

「たいへんね」

しばらくすると、生徒は自分が割って飛び散ったガラスをかたづけ始める。かたづけを手伝ってやりながら、最後に先生は

「ごくろうさま」

と、ねぎらう。

学校の教師が生徒にする会話法だが、夫婦の関係、親子関係でしてみるといいのよね、と先生は言った。

「どうしたの?」「たいへんねえ」「ごくろうさま」

後日、私もやってみた。
授業にさっぱり出席しない学生に電話した。

私「どうしたの?」

学生「(言い訳する。そのあと、不満をぐちる。ぐちが続き、ため息が出る)」

私「たいへんやなぁ」

学生「これからはがんばる。ありがとう」

私「ごくろうさま」

と電話を終えたのだった。

自分でやってみて、ママ風言葉は別として、ママ風かかわり、母性的関与の意味が実感できた。

尾木ママは赤ん坊と母親のコミュニケーションの大切なことを語り、近年、母親の胎内の状況を観察できるようになってからは、母親の心身の状態と胎児の状態が連動していることが詳しくわかってきたことを紹介した。昔から「胎教」と呼ばれていたこと、つまり、生む前から、子どもの教育は始まっているのだとの認識は、科学的に観察、実証されているのだ。

母性とは「わが子はいい子」、父性とは「いい子はわが子」である(河合隼雄)。

母親が胎内の子どもを無条件に愛することができるためには、父なる人は妻を無条件に愛することが必要となるだろう。無条件の愛とは、やはり母性なのであるから、父なる人、男性にも母性は要求されるのである。

「どのように子どもを怒ればいいのかという質問が多いのよねえ」と、尾木ママは言った。子どもを怒ることがしつけなのだと思っている人は多い。「怒ることなんか要らないのよねえ」

ほんとうにそうである。とくに、怒られる、叱られる、は逆効果の場合が多い。怖いからその瞬間は従うが、後になって反発、反抗、恨みになりがちである。

赤ん坊の心は、おっぱいを飲んだ満足と、授乳する母親の「やさしい言葉かけ」に育まれる。空想、ファンタジー、夢思考はここから発生する。心は「快感」によって発生し、育つのである。

後編に続きます】

藪添 隆一(2016年11月2日)

尾木先生のサインを心理学科コモンズに飾らせていただいています