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教員コラム

となりのトトロを考える④

【③からの続きです】

メイとサツキの母は療養のために入院中である。女の子たちにとって母親の存在は「守り」である。母性に守られている実感が自信を生み、生の実感をもたらす。生き生きとした生命感は心身を災厄から守ってくれる。母親が入院中で、しかも長期療養が必要な結核を思わせる状況は、姉妹の守りを薄いものとしている。その守りの薄さ故にか、メイの失踪事件が起きることになる。

「お母さん死んじゃったらどうしよう!」と隣のバアちゃんに泣いて訴える姉の姿を見たメイが母を求めて病院に向けてさまよい歩き出かけるきっかけとなる。

行方不明のメイを捜索する村の人々。池に浮かぶ子どものサンダル。夕闇とともに死の不安が迫ってきたとき、サツキは森の茂みに祈る。「お願い!トトロの所へ通して。メイが迷子になっちゃったの。もうじき暗くなるのに、あの子どこかで道に迷ってるの」

すると、茂みがトンネルのように変化して道が開く。道をくぐり抜けていくと、アリスがウサギ穴から不思議の国に落下したように、サツキはトトロの巣に落ちて、寝ているトトロのお腹にやわらかく落下するのである。祈りが運を開き、守りが生じるプロセスである。腹の上で泣いているサツキにトトロの手が伸びて大きな爪で優しく包むように抱き上げる。少女の柔らかで繊細な二の腕の肌に、獣の長い爪がゆっくりと伸びていき、傷つかないようにやさしく包み込むシーンは忘れられないシーンである。トトロは歯をむいてニカーッと意味不明に笑うが、これは「全てを了解」した証(あかし)だった。

自分の願いや祈りをすべてわかってもらえたと感じる瞬間、人は勇気と希望を得ることができる。その勇気と希望は「万能感」を生む。万能感は幼児期の、極度に自己中心的な感覚である。この感覚は「渡る世間に鬼は無し」のイメージを抱かせてくれる。「自分だけは大丈夫」の感覚を基本的安定感(安全感)という。

基本的安定感があるからこそ、人は危険をさほど恐れずに行動できる。車の運転ができるのは、どこかで「自分は大丈夫」の自信があるからである。他人の作った料理を食べることができるのも、外出できるのも、銀行に預金できるのも、この自信からである。しかし、厳密に言って、この世の危険は限りなく、確実に大丈夫なことなんか無いのである。しかし、危険を感じ取ることが過多となれば、怖くて行動できなくなってしまうだろう。基本的安定が無い人は、生きづらいばかりでなく、危険を招きやすい状態に陥る。不安と孤独は危険を招く(魔がさす)もととなるからである。

母親の病気と不在、妹の失踪から不安と孤独に襲われたメイが助けられたのは祈ることができたからである。トトロに「わかってもらえた」ことから発生する万能感は、トトロとともに天空に舞い上がり、猫バスに乗ることだった。希望の行き先を「めい」と了解すると猫バスは迷わずに迷子になったメイのところにまっしぐらに野山や電線の上を疾走する。メイも乗せたバスは母親の入院先「七国山病院」に走る。ハッピーエンドに向けての展開は、生きて行く希望と力に満ちているが、ファンタジーの力は私たちの論理的思考、現実認識という意識という地層の下を流れている暖かい血の通った思考なのである。

「心理学」は「脳科学」ではない。「わかってもらう」ことによって人が蘇生することを学ぶことをわかろうとすることをも含む学問であると私は思っている。

藪添 隆一(2017年3月24日)