京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 自転車を走らせていて思うこと

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教員コラム

自転車を走らせていて思うこと

親にとって子どもはいつまでたっても守りたい存在なのでしょうか。私の同級生はもう孫がいる人も珍しくないぐらいになりましたが、年老いてもなお私の両親は頼りない私のことを気にかけてくれています。とてもありがたく思うと同時に、親孝行をしていない申し訳なさでいっぱいになります。両親とも幸いなことに、今は元気に過ごしています。かつての私の部屋は父の趣味のスペースとなり、自転車置き場は建て増しのためなくなったりで、帰郷するたびに少しずつ実家は変わっています。しかし大学進学と同時に実家を離れて以降も、私にとっての故郷はいつまでたっても自転車で坂道を下って通学していた頃の山すその小さなまちのイメージのままです。

自転車通学は交通手段が限られている田舎では当たり前でしたが、都会では自転車事故が多くて危ないという理由で、十分自転車で行ける場所であっても、わざわざ公共交通機関で通学させる家庭が多いことに驚かされます。実際にちょっとした事故を目撃することも時々ありますし、自分の通勤時にひやりとすることもあります。本当に交通事故は怖いものです。

それにしても今の季節は日の出も早くなり、明るい過ごしやすい季節です。自転車で風をきって通学していた頃もこのような気持ちだったのかはっきりとは思い出せませんが、自分の子が自転車で登校していくのを送り出す朝は、いつまでたっても「気をつけてね」と言ってしまいます。毎日のことなのになかなか心配しないで見送ることができません。子にはいつも「大丈夫に決まっているじゃないの!」と怒られるのですが、どうしても気にかかってしまうのです。

私の自転車通学を見送ってくれていた家族も同じような思いだったのでしょうか。小学校に入学したての頃、まだ小さい体に大きなランドセルをしょって家を出るとき、祖母はいつも私の姿が見えなくなるまで、庭まで出てきて見送ってくれていたことをよく覚えています。おばあちゃん子だったので、何から何まで世話をやいてもらっていました。

そんな祖母ももう100歳近くになりました。やはり若い頃よりは意志疎通がうまくできなくなってきましたが、親だけでなく祖母までも、いまだに何かと私の心配をしてくれています。遠く離れていても心配してくれる人がいるのは、それだけで難しいことにぶち当たっても頑張ろうという原動力になっているのだということに、この年になってようやくしみじみと感じるようになりました。実家を離れたての時には少しホームシックになりましたが、とにかく自分が一人暮らしをすることに頑張らねばと必死でした。好きなようにさせてくれ、黙って見送ってくれた家族の気持ちを考える余裕はありませんでした。

きっと新しい生活を始めた学生も、あの頃の私のように、日々慣れることで精いっぱいという人もたくさんいることでしょう。気持ちの良い5月に自転車を走らせていると、このようなかつての自分のことを思い出します。

石谷みつる(2017年5月9日)

実家の特等席にいつもいる猫