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教員コラム

ポスト・ヒューマンへの畏怖

先日、『サピエンス全史』という本を読みました。ヒトの起源から始まって、驚くべきことにこの書物は、ヒト(ホモ・サピエンス)の消滅までも暗示しています。「歴史の次の段階には、テクノロジーや組織の変化だけではなく、人間の意識とアイデンティティの根本的な変化も含まれる(中略)それらの変化は本当に根源的なものとなりうるので、「人類」という言葉そのものが妥当性を問われる。それまでに、あとどれだけ時間が残っているのか?」

次の「人類」は、ホモ・サピエンスが旧人類であるネアンデルタール人を(恐らく)絶滅させたように、我々サピエンスを絶滅に導くかもしれない。これまでの研究から推測される結果として、その可能性はかなり高いものだと言わざるを得ないのでしょう。

『サピエンス全史』で描かれるの「人類」の移行段階(すなわち現在)では、たとえば自分の脳と他人の脳がインターネットのように直接的につながるようになり、これまで個人的な記憶だったものが共有されていくようになります。これだけ見ても、「人間の意識とアイデンティティの根本的な変化」を引き起こすことは明らかです。これは単なる夢物語などでなく、現在進行している数々のプロジェクトの避けられない結果でもあるのです。

最近の世の中の動きと心理的状況を見ていて強く思うのは、当たり前だと思っていたほとんどすべてのことが、実は当たり前ではなかったのだということです。国家、家族、個人といった社会的単位、自由や平等といった基本的人権、私あなた、男性女性、心身体、人間動物、科学宗教といった普遍的対概念。こうした世界に意味を与えているものすべてが、急速に意義を失い、あるいは新しい言葉にとって代わられつつあるように感じます。心の意味内容が変わっていくのなら、心理学も変わらざるを得ないのだろうと思います。ただ、心がどう変容していくのか、今のところ誰にも分かりません。もしかするとそれを知ることができるのは、次の「人類」、ポスト・ヒューマンなのかもしれません。

長田 陽一(2017年10月19日)