京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース 「からだの声に耳を澄ます時間」その2

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教員コラム

「からだの声に耳を澄ます時間」その2

 しかし、やはり対面で得られる手ごたえとは違います。相手の人と同じ空間にいる時、私たちは「言葉」だけではなく「からだ」を通って出てくる「声」によって相手の気持ちを汲み取っています。言い淀みや息づかいにはからだの声が現れています。たとえば「同意」を表す「了解しました」という言葉はメールやラインでよく使われますが、言葉の上では同じ「同意」であっても、同意までの過程には色々あるはずです。あっけらかんとした同意の場合は明るい声、迷ったままでの同意の場合は暗い声になります。妙に明るい声の場合、本当は同意に痛みが伴い、言葉では同意を伝えても声の方ではその痛みを語ることもあります。そして「同意」というよりは「決意表明」として宣言されることもあります。このように「声」の中には言葉が出てくるまでの過程やその言葉の辺縁にある気持ちが潜んでいるように思います。

 精神科医サリヴァン(Sullivan.H.S.)は「精神療法とは音響心理学である」と述べました。

「音響」つまり「声」の中には言葉にならない「気持ち」やその声の奥にある「からだ」を感じることができます。「声」の中に潜んでいる気持ちの量感や質感にセンサーが働くことが「人の話を聴く」ことの本質であるともいえます。

 そこで授業でさらに試みたのは、了承が得られた受講生のチャットを私が読み上げてその場で応えることでした。この応答を受けて、さらにチャットに書き込んだり、後にメールで質問をしてくる学生が増えました。授業中の時間が「からだの声に耳を澄ます時間」に少し近づくこととなりました。

 このような試みの後、受講生の多くが退室するときに(実際にはボタンをoffにする時に)「ありがとうございました」と私に声をかけてくれるようになりました。会ったことがなくても「声」には馴染みができます。さらに馴染みのある雰囲気が作り出されると、授業の場には温かみが生まれます。それは、とりとめのない虚空と対峙するのとは全く違う場になります。そして、今後は、その「馴染みのある声」といつか出会うことができるという楽しみが増えました。温かみや親しみといった感覚は学問という論理の世界には必要がないという人もいるかも知れませんが、心の機微を大切にする「臨床心理学」の中では少なくとも共有したい感覚です。この感覚を受講生と少しは共有できるようになったのではないかと感じています。この手ごたえを大切にして後期も授業に取り組みたいと考えています。

(心理学科 徳田仁子)