旅行に出る目的は、人それぞれだと思います。
自然の中でリフレッシュしたり、有名な観光地を訪れたり、その土地ならではの文化や食べ物を楽しんだり。友人や家族と過ごす旅もあれば、一人旅もあります。旅行は、私たちの日常に少し違った光を当て、生活に彩りを与えてくれます。
私も、毎年何度か旅行に出かけます。最近はいろんな事情で以前ほど気軽に行くことはできなくなりましたが、多少無理をしても、できるだけ早めに旅行のためのスケジュールを組むようにしています。出発の日が近づくにつれ、普段の自分の輪郭が少しずつゆるんでいくような心地よさを感じます。
普段の生活の中で、私たちはいろいろな役割を持っています。学校での自分、家での自分、友人の前での自分、SNS上の自分。そうした役割は大切なものですが、ときには少し窮屈に感じることもあります。旅先では、日常の人間関係や役割が消えて、何者でもない自分でいる感覚が生まれやすくなります。
文化人類学者のヴィクター・W・ターナーは、「もはや以前の自分ではないが、まだ新しい自分でもない」宙吊りの状態を表すために、リミナリティ(閾状態)という概念を用いました。旅行にも、少しそれに似たところがあります。いつもの自分が通用しないし、逆に別の自分になれるような錯覚をもたらす経験なのかもしれません。
何者でもない自分と書きましたが、実際はアイデンティティが崩壊する訳でなく、見慣れた駅、いつもの部屋、通い慣れた道、毎日の時間割といった日常のコードがほどけ、違うコードの中に再配置されるのだと思います。しかも旅先では、私は旅行者というどこか気楽な身分に守られています。安全性を十分にコントロールされた中での、小さな自己解体の経験と言えるかもしれません。ですから、旅行は、自分自身が、自分にとっての他者になるような錯覚を与えてくれますし、それは不安や心細さやスリルを含みこんだ一種の快楽になります。
旅行の目的は、外の世界にあるように見えます。けれども旅を終えて帰ってくるとき、見慣れた自分の部屋や日常が、うまく言えないけど少しだけ変わったように感じることがあります。私にとっての旅とは、新しい経験を得るだけでなく、自分の輪郭を柔軟にしておくために大事な行為のひとつなのだと思います。

京都光華大学 健康科学部 心理学科
教授 長田 陽一
