先日、ふるさとの夏の花火大会に高校時代の仲間と出かけました。その仲間と一緒に花火を見るのも高校生以来で、〇十年ぶりのことです。開始を知らせる号砲に気持ちは昂り、「もう始まった?」「急ごう!」と、女子高生にもどったように言い合って、自然と足早になります。
「フュルルル・・・ドーン」。息をのむ期待のなか、重低音がお腹の底に響いて、暗闇に大輪の花が咲きます。大きな花火が真上に広がって、まるで自分に降ってくるかのようです。
「すごーい」「きれい」という声があちこちから聞こえ、自然と拍手が湧き起こります。そこには、テレビやスマホの画面越しでは決して味わえない身体感覚があります。まさに、五感で味わう「日本の夏」です。

日本の花火大会は、江戸時代の大飢饉や疫病流行の際に、悪疫退散と慰霊・鎮魂を願って行われた水神祭で花火が打ち上げられたことが始まりとされています。それが現在の隅田川花火大会へと引き継がれ、全国に広がっていったそうです。日本で花火大会がこれほど盛んなのは、地域の活性化や観光集客の側面はもちろんあるのでしょうが、日本人に夕涼み文化があることも大きな理由の1つでしょう。
四季の移ろいがある日本では、揺らぎや儚く消えゆくものに魅せられる心があります。
また、夏は家族が集まる帰省の季節であり、お盆は先祖の霊を迎え入れ、五山の送り火にあるように供養して送り出す時期でもあります。そこには終戦の日も重なります。私たちは教えられるまでもなく、夜空に大きく咲いて静かに消えてゆく花火に、寂しさや愛おしさを感じ、願いや祈りの気持ちを重ねているのでしょう。
花火大会は、家族や仲間と連れ立っていくことが多いものです。また、まわりには顔も名前も知らない大勢の人たちがいます。みんなが同じ夜空を見上げて心を動かし、感動し拍手を送ります。そこには場全体の一体感のようなものがあるように思います。
フィナーレの大きな花火が打ち上げられ静かに消えたあと、夜空は再び暗闇になり、街燈が照らす道々をみんな連れ立って帰っていきます。パッと咲いて静かに消えてゆく花火は、儚くもありますが、つながりがずっと続いていることを感じさせてくれるもののように思います。
京都光華大学 健康科学部 心理学科
准教授 淀 直子
