2026.03.11 ぼうさいらぼ

「津波てんでんこ」に込められた意味とは:利己的に見えるこの言葉が持つ重層的な教え

「津波が来たら,親でも子でも人のことなどは構わず,銘々ばらばらに一時も早く逃げなさい」

「津波てんでんこ」という言葉を聞いたことがありますか?

東日本大震災(3.11)をきっかけに、この言葉は全国的に知られるようになりました。「釜石の奇跡」として語られる津波防災教育のエピソードと結びついて、防災の世界では繰り返し言及されてきたことばです。

ただ、正直に教えてください。冒頭の文章を初めて見たとき、「薄情すぎるのではないか」「自分さえ助かればいいということ?」そういった疑問を持った方もいらっしゃるのではないかと思います。

この記事では、山下文男の著書『津波てんでんこ:近代日本の津波史』に加え、矢守克也(2012)「『津波てんでんこ』の4つの意味」、及川康(2017)「『津波てんでんこ』の誤解と理解」の2つの論文をレビューし、ことばに込められた意味をあらためて考えていきます。

この記事でわかること

「津波てんでんこ」の起源:三陸地方に伝わる「哀しい教え」

「津波てんでんこ」という言葉が世間に広く知られるきっかけを作ったのは、津波研究家の山下文男さんです。山下さんの著書『津波てんでんこ:近代日本の津波史』(2008)のなかで、この言葉の由来が語られています。

山下さんの父親は、明治の三陸大津波(1896年)を生き抜いた人物でした。昭和の三陸大津波(1933年)のとき、父親は末っ子だった山下さんの手も引かずに一目散に逃げた。後で母親がその「非情さ」を責めると、父親は「なに! てんでんこだ」と言い返したというのです。

「てんでんこ」は三陸地方の方言で「各自」「それぞれに」という意味です。そして、現在「津波てんでんこ」という言葉は以下のような意味を原義としています。

「津波てんでんこ」の原義

「津波が来たら、親でも子でも、人のことはかまわずに、各自でバラバラに急いで逃げろ」

三陸地方の防災教訓。「命てんでんこ」とも呼ばれる。

ここで、「てんでんこ」という言葉には、互いに了解しあい、認め合った上で「別々に」「それぞれに」というニュアンスがあるそうです。つまり、「津波てんでんこ」は「勝手にしろ」という突き放した意味ではなく、お互い、問わず足らずの了解の上で上述の行動を行うという意味が込められています。

山下さんはこの言葉を「哀しい教え」と呼びました。なぜ哀しいのか。それは、助けを必要とする幼い子ども、高齢者、障がいのある方……そういった「災害弱者」の問題がどうしても残るからです。

「薄情すぎる」という批判は、おかしくない

及川(2017)は、「津波てんでんこ」への批判がどの程度起こり得るかを調べるため、インターネットを通じた大規模なアンケート調査を行いました(2014年実施、有効回答767件)。

調査でわかった3つのこと
1. そもそも知らない人が多い(約7割)

回答者の約70%が「津波てんでんこという言葉を聞いたことがない」という結果でした。防災関係者には当たり前の言葉でも、一般の人々にはまだ十分に浸透していないのが現実です。

2. 原義だけ伝えると約7割が「賛同できない」

言葉を初めて知った529人に「正しい意味」を提示したところ、約70%が「賛同できない(利己的・薄情すぎる)」と回答しました。これは、長年研究者たちが懸念してきた事態が、データで裏づけられた瞬間でした。

3. 背景を丁寧に説明すると、理解は大きく変わる

「賛同できない」とした人に対して、後述する「4つの意味」を説明したところ、その意味をよく理解した人の50〜65%が「賛同できる」へと変化しました。

この結果が示すことは明確です。「原義だけを正確に伝えること」では不十分なのです。この言葉が持つ深い背景と複数の意味を、セットで伝えることが必要です。

一方で、もう一点重要なことがあります。「薄情すぎる」と感じる心は、むしろ人間として当然の感情だということです。目の前の人を見捨てて逃げることへの罪悪感は、「生きることに真摯に向き合う姿勢」の表れでもあります。「津波てんでんこ」は、その葛藤に対して「お前は正しかった」と言い続けてくれる言葉でもあるのです。

「4つの意味」とは何か:矢守が示した重層的な解釈

矢守(2012)は、「津波てんでんこ」がじつは単一のルールではなく、4つの意味・機能を重ね持つ言葉であるとしました。「釜石の奇跡」と呼ばれる片田敏孝先生の津波防災教育をはじめ、東日本大震災の避難行動データなどをもとにした研究です。

第1の意味
自助原則の強調:「自分の命は自分で守る」

これが「てんでんこ」の原義に最も近い意味です。ただし、ここで大切なのは、「自分だけが助かれば良い」という利己的な意味ではなく、「自分だけで助かる」ことの大切さを説いているという点です。津波は猛烈なスピードと破壊力をもって迫ってきます。他の人を助けようとして足を止めれば、自分も含めて全員が助からないかもしれない。その現実から生まれた、苦渋の選択です。

第2の意味
他者避難の促進:「逃げることが、逃がすことになる」

ここが、「利己的すぎる」という批判への最も強い反論です。あなたが真っ先に逃げる姿が、周りの人の避難トリガーになるのです。

中央防災会議の調査によれば、東日本大震災で「最初に避難しようと思ったきっかけ」の2位は「家族または近所の人が避難しようといったから」、4位は「近所の人が避難していたから」でした。人は、他の人が逃げている姿を見て逃げる。「てんでんこ」はこのことを巧みに利用した知恵です。

矢守(2012)ではこの意味を「『逃げる』ための知恵にとどまらず、『逃がす』ための知恵、あるいは『共に逃げる』ための知恵」と表現しています。「釜石の奇跡」で率先避難した中学生が、小学生を引き、高齢者の車いすを押しながら生き延びた事例は、まさにこの意味の体現です。

第3の意味
相互信頼の事前醸成:「いざというとき離れられるよう、普段から話し合う」

第1・第2の意味が「そのとき」の行動であるのに対して、第3の意味は「普段の備え」に関わります。

たとえば親が「てんでんこ」で逃げようとしても、「子どもが学校でちゃんと逃げているかわからない」という不安があれば、実際には逃げられないでしょう。実際、東日本大震災でも「すぐに避難しなかった最大の理由」は津波の過小評価ではなく、「家族を探しに行ったり、迎えに行ったりした」からでした。

だからこそ事前に家族で約束しておくことが必要です。「津波が来たら、それぞれがちゃんと逃げる」という信頼関係を、家族・隣近所・地域で築いておくこと。これが「てんでんこ」の第3の意味です。釜石では、子どもたちが保護者に「僕たちは絶対に逃げる。だからお母さんも逃げて」と繰り返し伝え、学校と家庭の間で信頼関係を築いていました。

第4の意味
生存者の自責感の低減:「亡くなった人からのメッセージ」

この第4の意味は、災害の「後」に関わるものです。

生き残った人は、時に長期にわたって「自分だけ助かってしまった」「もっとこうしてあげれば良かった」という自責の念に苦しみます。阪神・淡路大震災の遺族を対象にした調査では、被災から15年以上を経てもそのような感情に苦しんでいる方が多くいることが報告されています。

もし事前に家族と「津波が来たらてんでんこだよ」という約束ができていれば、「約束だったのだから、仕方がない」「あなたも逃げたはずだ」という思いが、わずかでも自責感を和らげてくれるかもしれない。「てんでんこ」は、亡くなった人が生き残った人に贈る、寛容と励ましのメッセージでもあるのです。

「4つの意味」の整理
  • 第1の意味:自分の命は自分で守る(自助)
  • 第2の意味:自分が逃げることで、他の人も逃げる(共助)
  • 第3の意味:いざというとき離れられるよう、普段から信頼を築く(事前準備)
  • 第4の意味:生き残った人の自責感を和らげる(事後のケア)

「知ってるつもり」の落とし穴:及川先生の調査が示したこと

先ほど触れた及川(2017)の調査には、もう一つ重要な発見がありました。それは、「津波てんでんこ」という語呂だけ聞いても、正しい意味はほとんど伝わらないという事実です。

この言葉を初めて聞いた529人に、意味を推測してもらったところ、正解できたのはわずか8.9%でした。「てんでんこ」という言葉のイメージだけでは、「津波来たらみんなバラバラに逃げろ」という意味には結びつかないのです。

これは何を意味するか。この言葉は、単語だけが流布されても意味が薄いということです。適切な解説と解釈がセットでなければ、「津波てんでんこ」という言葉はただの呪文になってしまいます。あるいはもっと悪い場合、原義だけが一人歩きして「利己的な言い訳」に成り下がってしまうかもしれません。

及川の研究が示す大切な視点

防災関係者や専門家の間では「もう常識」と思われていることが、一般の人々にはほとんど伝わっていないことがあります。「津波てんでんこ」はその典型です。「知っているはず」という思い込みを捨て、正確に、丁寧に伝えていくことが求められています。また、及川先生は論文の中で「4つの意味を知った」という状態が新たな誤解を生む危険があると警鐘を鳴らします。大切なのは、知識として理解することではなく、葛藤・矛盾・苦悩に真摯に向き合い続ける「姿勢」です。それを持たないまま「てんでんこだから仕方ない」と言い訳にするならば、それは「利己的で薄情な言い訳」に成り下がってしまいます。釜石の小中学生たちは「てんでんこ」に徹しながらも、小学生の手を引き、高齢者の車いすを押した。その「姿勢」こそが「てんでんこ」の核心と言えます。

「津波てんでんこ」は、三陸の人々が何度もの壊滅的な津波を経験し、共倒れという最悪の事態を避けるために生み出された考え方です。それは利己的なルールではなく、大切な人を守るために最善を尽くすための、重層的で深い教えです。

「薄情すぎる」と感じたあなたの感情は、正しかった。その感情を持ち続けながら、それでも逃げる覚悟を持つこと。それが「津波てんでんこ」の本当の意味なのだと思います。

Author

サトウ先生|博士(工学) / 防災士
京都光華女子大学 社会学部 社会共創学科
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このブログは、学生や地域の皆様が防災の基本を体系的に学べる「オンライン防災教本」を目指して、本学教員である筆者の研究・教育成果に基づき作成しています。
実際の災害時は現場の状況に応じた柔軟な判断が求められます。記事に含まれる情報の活用は読者の皆様の判断と責任において行っていただきますようお願い申し上げます。また、記事の内容は大学の公式な見解や推奨を意味するものではありません。なお、記事に含みうる誤りに関する一切の責任は筆者に帰属します。

参考文献
  • 山下文男(2008)『津波てんでんこ:近代日本の津波史』新日本出版社
  • 矢守克也(2012)「『津波てんでんこ』の4つの意味」『自然災害科学』Vol.31, No.1, pp.35-46
  • 及川康(2017)「『津波てんでんこ』の誤解と理解」『土木学会論文集F6(安全問題)』Vol.73, No.1, pp.82-91
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