2025.06.12 教員コラム

進化とヒトの心2(教員ブログ:上田Dr)

読者の皆さんこんにちは。

今回は筆が乗り、立て続けですが、配信しますね。

前回は、情動というものが割と進化的に古そうで、脳の中の仕組みとしては爬虫類から認められる扁桃体という場所が、大きな役割を果たしているというお話でした。

野生の動物では、生存に不利な刺激を避けることのほうが重要ですので、実は、我々ヒトを含め、動物にはネガティブな情動のほうが生じやすくなっています。
確かに、あんまり幸せな野生動物っていなさそうですものね。

ダーウィンが、種間競争による自然淘汰、あるいは種内の配偶者獲得を巡る性淘汰という概念を提出してから、動物の行動学研究が盛んにおこなわれるようになりました。

なかでも、オーストリアのコンラート・ローレンツ(1903年~1989年)は、動物を身近に置いて観察し、動物行動学に多大な貢献をされ、1973年にはノーベル医学・生理学賞を受賞しています。
卵からかえった鳥のひなが、最初に見た動くものを親と認識するという、「刷り込み」の発見者として有名で、一般向けにもいくつか書籍を書いており、その中では「ソロモンの指輪」が最も有名です。

旧約聖書に出てくる、ソロモン王の指輪は、これを使うと動物とも意思疎通できると伝えられ、動物に対する理解と愛に満ちた自著に、この名前を付けたのでした。
この本は、日高敏孝先生が翻訳し、早川文庫で日本語版が出版されています。ほかのローレンツの著書の多くも、日高先生が翻訳されているのですが、今回とりあげたいのは、「攻撃 悪の自然史」(みすず書房)です。

ローレンツは、自宅で様々な生き物を飼育していたのですが、その中でも彼のお気に入りはハイイロガンでした。卵からふ化させ、ローレンツを親と思いこんだこのハイイロガンは、先ほどの「刷り込み」の仕組みをローレンツに思いつかせるきっかけとなった鳥で、彼はその後、このハイイロガンに飛ぶ練習、泳ぐ練習などを親としてさせています(笑)。

まさに親として、ハイイロガンを育て、観察していたわけですね。その中で、彼が発見したのは、ハイイロガンの強迫症状です。「強迫症」というのは、精神科で取り扱う病気の一つで、例えば「鍵がかかっているか不安になり、何度も確認をする」、「手になにかバイ菌が付いたのではないかと不安になり、何度も手を洗う」といった症状のことをこう呼びます。

もちろん、治療するかは程度次第で、「あれっ?玄関の鍵しめたっけかな?」と一度確認しに帰る、ぐらいでは治療は行いません。また、子供は、こういった強迫症の症状がいろいろとあることが普通です。

精神医学的には、頭に浮かんでくる不安を生じさせる考え(「鍵がかかっていないのでは?」「手にバイ菌が付いたのでは?」といった考え:強迫観念)と、その不安を解消する行為(「確認する」「手を洗う」:強迫行為)のセットで成り立っていると考えられています。ローレンツは、毎日のハイイロガンの観察の中で、ハイイロガンが家の中で階段を登っていくときに、必ず決まった場所を通って登っていくことに気が付きました。

ある日、なにか別のことに気をとられていたハイイロガンは、いつもと違う場所を通って階段を登り、ふと、自分がいつもの場所を通っていないことに気が付いたそうです。その時、首筋の毛を逆立て、頭をぶるっと震わせる、ハイイロガン特有の不安を表す行動をとり、そのあと、なんと、一度下に降りてから、いつもの場所を通って階段を登りなおした、というのです。これはまさに、強迫観念と、不安を解消する強迫行為のセットと考えられるわけですね。

初めてこのくだりを読んだ時、私はなんというか、それまでの精神疾患への考えを変えざるを得ない、つまり、精神疾患というのは、ヒト特有な面ももちろんあるのですが、背景には、やはり動物としての脳の仕組み、進化で培われてきた行動があるのだ、ということを思い知らされた気がしたわけです。そんな体験も、私が脳科学を目指す一つのきっかけになったと言ってよいかもしれません。
(図はChat GPTが作成したローレンツがハイイロガンに泳ぎを教えているところです)

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