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2024.04.30 教員ブログ絹(シルク)にまつわるトリビア ~その1
こんにちは。ファッション分野担当教員の青木正明です。
天然染料や衣類の歴史について色々お話させていただいております。今回は「絹(シルク)」についてトリビアなお話を2回に分けてお伝えしようと思います。
我が国の絹文化は中国から渡ってきました。いろいろお話があるようですが2~3世紀に伝来、というのが有力な説のようです。我が国最古の記録のひとつである古事記にも絹のお話があるのですがこれがなかなか衝撃的な内容です。
オオゲツヒメノカミという女神がほかの神様たちをもてなそうとご馳走を作ります。ですが、そのご馳走を彼女が自らの鼻や口や尻から出すのを見たスサノオノミコトが「汚い!」と怒って彼女を殺してしまいます。このオオゲツヒメの遺体の頭から出てくるのがお蚕さんでして、これが日本の絹の発祥、ということになります。ちなみに、稲・粟・小豆・大豆・麦といった五穀も一緒に彼女の体から生まれています。
面白いことに登場人物は違いますが女神の体から作物が表れる話は日本書紀にもあります。どちらの話も農耕民族として重要な農産物が女神の亡骸から生まれそこに蚕が含まれること、さらに古事記では斬り殺され真っ先に出てきたのが蚕であること、このあたりが我が国で養蚕と絹がいかに古来重要だったかを物語っているな、と個人的に思います。
最初は中国からの輸入に頼っていた絹織物ですが、かなり早くから国内での養蚕~絹織物づくりは定着していたようです。奈良~平安時代の文献には国内の様々な地域から納税品の代わりとして絹織物の献上が義務付けられていた記録が残っています。平安時代には非常に高品質レベルまで上がったと予想できる日本産の絹織物技術はしかし、鎌倉~室町時代を経るに従いその技術がいったん衰え、ご本家の中国にその品質が再び肩を並べるまでに戻ったのは江戸時代のこと。そして、絹の国ニッポンといわれる明治時代が訪れます。
緑の絹を吐く天蚕(てんさん)。山形の養蚕農家さんで見た美しい繭とお蚕さんです
明治になり開国した日本は、欧米の列強に立ち向かうべく軍備拡張へひた走ります。ですが、それには外貨が必要ですよね。
話は変わりますが、「製糸」と言えば繊維業界では絹糸を作ること。綿糸や麻糸や毛糸もあるのに、です。日本が外貨獲得の為に国を挙げて奨励し最も成功した輸出品が国産の絹糸だったのはあまりにも有名ですね。富岡製糸場などはその時代を物語る世界遺産ですが、一番の稼ぎ頭だったのがダントツで絹糸だったことを物語っている言葉だと思います。絹で稼いだ外貨でアジアの小国日本は列強の仲間入りができた、とも言えるではないでしょうか。絹が大砲や戦艦を作った、と言っても過言ではないかもしれません。
第一次世界大戦前あたりに中国やイタリアを抜いて世界の絹糸輸出量世界一になった日本。その主な消費国はアメリカでした。当時ストッキングは丈夫で光沢のある絹の生糸が使われていました。ですが日本とアメリカの関係が悪くなってきた1939年、世界で初めての合成繊維であるナイロンがアメリカのデュポン社により発売されます。『蜘蛛の糸より細く鉄線より強い』というキャッチフレーズで一世を風靡したこの新素材は瞬く間にアメリカをはじめ様々な国でストッキング用素材として絹糸の一大消費マーケットを駆逐してしまいます。当時の絹糸輸出を一手に引き受けていた農林省をアナグラムで貶めるためにNOLYNを逆から読んで命名したのでは、などと揶揄されるほど日本の絹輸出に影響を与えたナイロン。太平洋戦争での疲弊も手伝い、日本の絹産業はひどく落ち込みます。
戦後の復興とともに絹産業も息を吹き返すかに見えますが、替わって台頭するのが綿業と化繊製造。ナイロン、レーヨン、そしてポリエステルの花形に押しやられ、ほとんど和装業界での生糸や紬糸になってしまい、現在に至ります。何やら悲しいお話に聞こえますが、それでも絹が私たち日本人を様々なところで支えてくれたのは歴史がしっかり語ってくれていますよね。我が国の歴史に常に寄り添ってきたのが絹、個人的にはそんな印象です。
次回は打って変わって絹の性質を理科の目からお話する予定です。
■絹の話第一弾「絹の性質の話 ~絹(シルク)にまつわるトリビアその2」はこちら