京都光華女子大学 健康科学部 心理学科 ニュース となりのトトロを考える~心理カウンセラーの視点から~@マイナビ進学フェスタ①

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となりのトトロを考える~心理カウンセラーの視点から~@マイナビ進学フェスタ①

大阪の北港にあるインテックス大阪という巨大なイベント会場に行って高校生に講演した。講演と言っても、「講演ブース」という一画で30分、大学での授業の紹介としてデモンストレーションを行うことになっていた。

私は臨床心理学が専門で、特に学校コンサルテーションを長年、続けてきた。現在も児童生徒の心の問題について学校の先生方の相談に応じている。そのときに役に立っているのが「イメージによる見立て」である。

イメージによる見立ては、ちょうど映画を観ながら、その物語の筋や登場人物について勘を働かせるのと似ている。勘を働かせるとは、そのイメージを自分のものにすることである。つまり、その問題の起こっている場面や、関わっている人たちの動き、などを鑑賞するようにとらえて「意味」を見いだすことなのである。

大学では学生・院生に臨床心理学を伝える授業をしている。私は、学生・院生が専門職として関わる人間ドラマ(ケース)を、関わりながら意味を見いだすことができるようになってもらいたいと思っている。その授業の方法の一つが夢分析ならぬアニメ分析である。

たとえば、
Q1.「となりのトトロ」のトトロたち「もののけ」はメイ、サツキには見えて大人に見えないのはなぜか?
Q2.トトロたち「もののけ」は大人に見えないのに子どもには見えるというけれど、子どものカンタには見えていないのはなぜ?
などと考える。

Q1は私が学生に問いかけた問題である。Q2は学生から私への質問である。
面白いだけでなく、意味深い問題がいくつも見いだすことが出来て、それを考えることが臨床心理を考えることにつながるのである。

学生の質問Q2について私は次のようなことを考えた。
トトロたち「もののけ」は神仏の領域に住む「助っ人」である。子どもの祈りに応えて助けにきてくれる「運」でもある。メイがトトロに初めて出会ってメイとお父さんにトトロがいた場所を教えようとして出来なかった時、笑う父と姉に「うそじゃないもん!」と怒った時、お父さんは「うそだとは思っていないよ。それはきっと森の主なんだよ。いつも会えるとはかぎらない。運がよかったね」と言った。

メイは運がよかった。サツキも運がよくなってトトロ、猫バスに会うことが出来る。二人がもののけに出会うことが出来た「運のよさ」とは何だろうか。幸運の背景には悲運がある。悲運のさなかに運が幸いに転じるために祈りがある。サツキとメイの不運は、母の病気が肺結核であろうことである。死が背後に迫っているかもしれないことからくる「不安」が運命的なものであることを感じる子どもの心、がそこにある。だから父が二人を鎮守の森、塚森に連れて行き守護神である楠の大木に「メイがお世話になりました。これからもよろしくお願いします」と「あいさつ」したのである。

日本人の古来の祈りはあいさつなのである。だから、サツキか暗い雨の夜にバス停で、眠ってしまったメイをおんぶして父の帰りを待っている時にトトロが現れたのだ。あいさつするとなりのおじさんのように森の主、トトロが現れたのだった。暗闇の中に死の影が感じられる不安(タナトス)に襲われそうになるとき、サツキに生きる喜び(エロース)をトトロは与える。サツキは、彼女に初恋(エロース)を感じてカンタが貸してくれたように、トトロに傘を貸すのだった。トトロは猫バスに乗って去る時に木の葉に包んだ木の実をくれる。貸し借りは人類の普遍的儀礼行為であるとレヴィストロースは「贈与論」で論証している。

「借りを返す」という「あいさつ」も「祈り」なのである。祈りによって、運は悲運を幸運に転じるのである。

カンタにもののけが見えないのは、カンタには祈りが今のところ必要でないからだ。幸福な状態の子どもに「もののけはい」は感じられない。

トトロのお礼は「木の実」だった。メイとサツキは畑にまいて芽が出ることを祈る。

不思議なことに、眠ると姉妹同じ夢を観たのだった。芽が出てみるみる間に大木となり森になる。夢の中の夜空でトトロにつかまり飛翔する。夢の中での飛翔は夢を育てる。育った夢が現実で身を結ぶ人生は、作者宮崎駿の経験ではないだろうか。そのテーマは「風立ちぬ」に描かれている。

翌朝、目覚めたメイとサツキは畑を見る。森も大木も無い。しかし、畑は芽吹いていた。「夢だけど夢じゃなかった」と二人は歌いながら踊るのだった。

【②に続きます】

藪添 隆一(2017年7月27日)