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教員コラム

あたたかさについて

私は子どものころから猫が好きでした。夜寝るときに猫の姿が見えないと、わざわざ探して布団まで連れてきて、一緒に寝るほどの猫好きでした。猫はなんと言っても自由奔放でこびないところがいいですし、むこうはどう思っているのかわかりませんが、触れた時のあたたかさ、ふんわりした柔らかさがここちよく、いつまでも抱っこしていたいぐらいです。

人はあたたかいものに包まれていたいという気持ちを、小さいころから変わらず持っているのでしょう。あたたかさは、皮膚感覚から感じとれるものもあれば、こころが通い合うことによって感じるものもあります。

反対に冷たさは暑い季節には快適ですが、冷房でも食べ物でも、冷たすぎると体をこわしてしまいます。暑いときには、冷たいものもいいですが、もう少しマイルドな涼しさが欲しいですね。今年ももう6月になりむし暑くなりました。この季節に涼しさをそえてくれるのは、キャンパス内のピンクの紫陽花です。

しかし不思議なことに、暑さの中の涼しい場所でも、あたたかいものがあるとほっと気持ちが和みます。あたたかさは体にもこころにも不可欠のものであり、固くこわばった状態にゆるみをもたらしてくれるからでしょうか。かつて一緒に暮らした私の猫は、おそらくうっとうしく思っていたとは思いますが・・・

残念なことに事情があって、今は家で猫を飼うことができません。ですがいくつになっても、ふんわりあたたかい動物は私の生活には欠かせませんので、家族みんなを和ませてくれるハムスターを飼っていました。ここでは仮にうちのハムスターを「花子」としておきましょう。

(※心理学科には竹西先生という、ハムスター専門家ともいうべき方がおられますので、私のように隠れ猫好きのハムスター飼い主が名のり出るのは実は気がひけています。)

最初ハムスターは小さい子どもが飼うものという先入観があったのですが、いざ我が家にやってくると、その愛くるしさに私が一番魅了されてしまいました。猫よりもずっと小さく、まさに手のひらサイズ。こんなに小さな手足で生きていることが不思議なぐらいの華奢な体。目は黒く、くりっとしていてキラキラしています。花子は人懐っこい性格なので、人の気配を察知すると、すぐにかごから出して欲しいとカリカリ扉をかじって訴えてきます。

花子がかごの中でかわいい寝相を見せると、夜、疲れている家族もみなそうっと寄ってきて、小声でワイワイ会話したものです。こんなに小さな生き物なのに我が家のアイドル。手に触れていなくてもあたたかいのです。こんなに小さいと、何かあるとすぐに死んでしまわないかと心配になるような繊細なつくり。

そんな心配をよそに、花子は丈夫でたくさん食べ、かごの回し車でいそがしく走り続け、活発に過ごしています。とかく家族全員がいろいろなことで大変な時期に、花子は我が家にあたたかさを運んでくれる大事な存在でした。

つい最近のことですが、花子はついに目を閉じたまま起きなくなってしまいました。だいぶん年をとっていたので、眠っている時間が長くなっていき、手のひらに抱いたときのからだの軽さも気になっていたところの出来事です。あまり食べられなくなっていたので、工夫して、花子が以前のようにほお袋をふくらませてくれるように気をつけていたのですが、こればかりはどうにもしようがありません。

その日は私が朝いちばんに花子の異変に気づき、朝のしたくをしている子どもにそっとこのことを告げました。子どもはえっという表情をうかべ、その後は朝の忙しさにまぎれて、花子のことを見ることも話すこともなく出かけていきました。しかしそのえっという表情のあと、しばらくのあいだ目がうっすらと潤んでいたことが、私のどこかにひっかかったままの一日でした。

朝のあわただしさの中で浮かべた涙も、花子という存在のあたたかさの仕業です。あんなに小さな生き物なのに、なんと大きく感情を揺り動かす存在だったのでしょう。命のあたたかさは、その大小にかかわらず、人のこころに大きく響く何かをもっていることを、忘れないでおこうと思います。

石谷みつる(2016年6月7日)

6月。紫陽花の季節。

雨の日はいちだんと紫陽花がきれいです。

花子と遊んでいるところ。あたたかくて可愛らしい!

かごから外に出たがる花子。とても人懐っこいです。