京都光華女子大学 短期大学部 ライフデザイン学科 学生ブログ 京都光華女子短大ルポ ~女流画家ルブランの絵画からみる18世紀フランスの服飾 ライフデザイン学科2年 R.H

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京都光華女子短大ルポ ~女流画家ルブランの絵画からみる18世紀フランスの服飾 ライフデザイン学科2年 R.H

京都光華女子短大ではLDC(ライフデザインコンピテンシー)育成のためにリテラシー教育にも力を入れています。「京都光華女子短大ルポ」は本学科の学生がリテラシーを駆使して仕上げた様々なアウトプットを紹介するコーナーです。

ファッション分野の講義「世界の服飾史」履修学生によるレポートです。18世紀の著名な女流画家に焦点を当てた当時の服飾についての一考察、ぜひご覧ください。

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「歴史とファッション ~エリザベート・ルブランの肖像画からみる18世紀フランスの服飾」 2年 R.H

はじめに
かつて、理想の男性像のトップに『ベルサイユのばら』のアンドレ・グランディエを君臨させていたわたしにとって、18世紀のフランスほど興味をそそられる時代はない。
しかしそれは、単にベルばらの舞台であるからというだけでなく、歴史上、大きな変革があった興味深い時代であるからだろう。
そして、18世紀のフランスは、歴史上のみならず服飾史上でも、ファッションが男性主体から女性主体へ移ろってゆくという、大きな変革のあった時代なのである。
今回はそんな18世紀のフランスの服飾を、“18世紀で最も有名な女性画家”と言われるエリザベート・ルブランの絵画から紐解いていこうと思う。

麦わら帽子とモスリンドレス
エリザベート・ルブランというと、マリー・アントワネットの肖像画家として、彼女やその取り巻きの作品を多数残したことで有名である。
ルブランは1778年の《宮廷衣装のマリー・アントワネット》を皮切りにその後10年間、画家として、そして1人の友人として、マリー・アントワネットの肖像画を描き続けることになる。
そんな彼女の作品の特徴は、ロココ様式や新古典主義の影響を受けた芸術様式だけでなく、当時の流行をふんだんに込めるところでもあるだろう。


宮廷衣装のマリー・アントワネット
画像はオーストリア美術史美術館HPより







中でも有名なのは、1783年の《モスリンのシュミーズドレスを着た王妃》である。この絵は、同年に開催されたアカデミー主催のサロンで展示するために制作され、現在はワシントン・ナショナル・ギャラリーに所蔵されている。
最初の肖像画《宮廷衣装のマリー・アントワネット》とは打って変わって、装飾品もほとんどない、コルセットもない、このモスリンのシュミーズドレスと麦わら帽子の組み合わせは、当時の貴婦人の流行であり、堅苦しい宮廷の生活を忘れさせてくれる存在だったのだろう。
しかし、この絵はたちまち不評の嵐に飲まれることになる。
王妃が着ているモスリンのシュミーズドレスが不適切であるとし、ルブランは急遽、作品を描き直すことになるのだ。
現在、描き直された作品は、《マリー・アントワネット》というタイトルで、ヴェルサイユ宮殿美術館に所蔵されている。王妃の恰好こそ違うものの、構図やポージングが瓜二つなことから、この2つの作品の関連性が感じられる。

しかし、現存するルブランの肖像画には、他にも沢山の麦わら帽子とモスリンドレスが登場している。
ルイ15世の愛人であったデュ・バリー夫人の肖像画も、アントワネットの親友であったポリニャック夫人の肖像画も、麦わら帽子とモスリンドレスの組み合わせである。
ルブランは、1781年の《桜桃色のリボンをつけた自画像》でモスリンドレスを、1782年の《麦わら帽子をかぶった自画像》ではタイトル通り麦わら帽子を身に付けているように、自画像を描く際にも麦わら帽子やモスリンドレスを多く取り入れている。
ちなみに《麦わら帽子をかぶった自画像》は、ルーベンスの作品にインスパイアされたものである。フェルト帽を被った女性を描いているルーベンスに対し、自らは当時の流行であった麦わら帽子を取り入れていることからも、ルブランのファッションや流行に対するこだわりが感じられる。


モスリンのシュミーズドレスを着た王妃

画像はワシントンナショナルギャラリーHPより





 


マリー・アントワネット

画像はヴェルサイユ宮殿美術館HPより







そんな麦わら帽子とモスリンドレスは、1775年の時点で既に、アントワネットとその取り巻きたちによって身に付けられていたと言われており、それらの流行は、1738年からイタリアで始まった古代ローマ遺跡ヘルクラネウム発掘がきっかけで起こった古代文明への憧憬や、1760年にイギリスで起こった産業革命とそれとは対照的に流行した田園趣味の影響を受けていると言われている。
実際にルブランは、1788年に自宅で、アテネ風の衣装がドレスコードの『ギリシャ風晩餐会』を開催するほどの大の古代好きであるし、アントワネットは、モスリンのシュミーズドレスで過ごしたプチ・トリアノン宮に、イギリス風の自然庭園を造り田舎風の家を建てている。
麦わら帽子とモスリンドレスを好んで着用していたこの2人は、これらのアイテムの流行に影響を与えた物事と、密接に関わっていたのだ。

ちなみにルブランは、アントワネットの子どもたちの肖像画を描く上でも流行を取り入れている。
1784年の《王女マリー・テレーズと王太子ルイ・ジョゼフ》では、サテンのセーラー服を着たルイ・ジョゼフと、縞模様のサテンドレスに麦わら帽子を合わせたマリー・テレーズが描かれている。このマリー・テレーズが着ている縞模様のサテンドレスは、当時フランスで流行していた中国風のシノワズリーである。
流行に敏感な彼女ならではの作品は、子どもたちの肖像画にも表れていた。


王女マリー・テレーズと王太子ルイ・ジョゼフ

画像はヴェルサイユ宮殿美術館HPより







おわりに
エリザベート・ルブランは、主に18世紀のフランスで活躍し、マリー・アントワネットの肖像画だけでも30作以上を描いたと言われている。
また、フランス革命時には、イタリアやロシアへ亡命し、そこでも名声を獲得している。どうして彼女は、アントワネットをはじめ、当時のフランスの貴婦人から絶大な支持を得たのか?
それはきっと、彼女が描く肖像画が美しいだけでなく、ヴェルサイユ宮殿の堅苦しい生活からも、自らを縛り付けるコルセットからも解放されて、プチ・トリアノン宮でモスリンのシュミーズドレスを着て、のびのびと自由気ままに過ごすありのままの貴婦人たちを、生き生きとキャンバスに描いたからなのかもしれない。


【参考文献】

・西村書店 『芸術の都 パリ大図鑑』 著:ペルーズ・モンクロ

・美術出版社 『世界服飾史』 監修:深井晃子

・河出書房新社 『図説 ヨーロッパ服飾史』 著:徳井淑子

・『MUSEY エリザベート=ルイーズ・ヴェジェ=ルブラン』
https://www.musey.net/

先生のコメント

R.Hさんのある意味マニアックな視点による18世紀の服飾史についての一考察、とても楽しく読ませていただきました。「好きこそものの上手なれ」というフレーズがありますけど、今回のR.Hさんのとっかかりはお好きなベルばら好きからですよね。「好き」という観点からの掘り下げというのは正確かつ詳細になる事が多いと思いますが、今回の考察文はそういったR.Hさんの「好きパワー」が増幅された、ピンポイントの視点から楽しく広がった素晴らしいアウトプットと思います。社会に出られてからもこういった視点、ぜひ大切にしてください!