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教員コラム

2歳児のレジリエンス(回復する力)

私の故郷は広島ですが、大学から京都に来ました。当時は「合理的家出」のようで、大学卒業後も「帰っておいで」という声に従わなかった親不孝者です。

歴史は繰り返す、とはそのとおりで、私の娘も同じ道をたどり、高校卒業後は遥か遠い北の大地へ。今は北海道の釧路に家を建ててしまいました。

子どものこども(私には釧路と京都あわせて5人もいるのですが)の話をします。初めての「子どものこども」が生まれたときは、毎日のように釧路から動画を送ってもらって楽しんでいました。それというのも、自分の子育てはあっというまに過ぎてしまって、何も覚えていないからです。娘から子育てについて質問されても、「さあ・・・、忘れたわ」「保育園で、いつの間にかできるようになってたんじゃない」となんとも情けないことしか言えません。

短くても動画を送ってもらうと、ちょっとした日常のやりとりや表情がうかがい知れて、本当に面白い。成長すると誰も覚えていないのだけど、初孫「いろは」2歳1ヶ月のこんなシーンが忘れられません。

 

おさがりでもらった、室内の小さなジャングルジム。最初は得意げに「みて!」と遊んでいます。でも、

2段目から3段目にはまだ登れない。足をかけては落ちてしまって憮然とした顔です。

母親(私の娘)は仕事から帰宅後、夕食の用意をしながら、横目でそれを見ています。

いろは「できない…」            母「できないねえ」

いろは「できない…」 泣き声に近づく    母「できないねえ」

いろは べそをかき始める                     

母「じゃあ…滑り台する?」

いろは「いや」                      

母「じゃあ…ボールする?」

いろは「いや」

母「う~ん…。じゃあもう一回登る?」

いろは「…   」

やっぱり、登りたかったんですね。しばらく無言の後、彼女はもう一度登り始めます。

でもさっきと全く同じ状況で3段目は登れません。

いろは 「できない…」                 

母「できないこともあるよ・・・」 

「…   」                            

母「じゃあ・・・滑り台する?」

その言葉に、今度は彼女はうなづいて、すっと滑り台を滑って他のおもちゃに行きました。

 

なんということもない日常の1シーンです。

2歳の表出言語としては「できない」「いや」程度の言葉だけしかでていません。母親は手を貸すわけでもなく、台所から声をかけているだけです。

「できないねえ・・・」と子どもの言葉を受け止めて繰り返し、見ている=見まもられている関係の中で 共感します。いくつか提案をするけど、やっぱり登りたいんだという小さな欲望は「もう一回」を受け止めて、再度試みますが、それでもできないのが現実。

母親がゆっくり穏やかに「できないこともあるよ」と声をかけ、また数秒その現実を受け止める2歳児の表情。時間は必要だったけれど、次に「じゃあ・・・滑り台する?」という再度の提案を、2歳児は区切りとして受け止めて、自分から次の場面にすすんでいけました。

 小さな小さな場面です。また、直接触れあったり、大人が教えたり支えたりする場面でもないのですが、共有された時間、できないことを残念に思う共有された感情、その中で、次を選んで切り替えてすすむ意欲の繋がりが伝わってくるものでした。

 

今年度もいくつかの聾学校(聴覚特別支援学校)の幼稚部を参観しました。人数が少ないクラスでは、先生は「教師」の役割だけでなく、「おともだち」役「お姉さん」役、時には「いじわる」役もします。瞬時に関係性をつくっているのです。

先生方は子どもたちとの「関わり」の質を大切にし、「受け止める」「みまもる(待つ)」「提案する(子どもは選択する)」と、時に応じて経験を重ねていきます。言葉は「絵カード」で伝えるものではなく、関係性の中から立ちあらわれ、それが柔らかで豊かなことで、子どもたちは失敗や残念な気持ちも含めた日々の時間から次へのエネルギーを得ているのだと思います。

 

最近「レジリエンス(回復する力)という言葉をよく目にします。それは特別に高尚な言葉ではなく、こうした日常の場面から積み上げられていくものでしょう。そして、年齢があがっても、このまなざしはきっとずっと大事なものです。

目の前の大学生に対して、「高等教育の場だから」「専門知識はしっかり身につけてもらわないと」とよく思うのですが、それと同時に折れない心をもっていてほしいと願います。先がみえにくい社会の中で、自分の周囲と豊かにコミュニケーションをとり、しなやかに社会を漕ぎわたっていく彼女らの姿を思い浮かべます。

言語聴覚専攻教員
高井 小織