京都光華女子大学 短期大学部 ライフデザイン学科 ニュース 百万人の草木染め論その3「『草木染め』は誰が言い始めたの?」

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百万人の草木染め論その3「『草木染め』は誰が言い始めたの?」

こんにちは。ライフデザイン学科教員の青木です。

さて、勝手に始めている「百万人の草木染め論」、その1その2と続きましたが、今回で最終回です。とても簡単にですが先月まで草木で染めることについて解説してきました。今回はこの「草木染め」という言葉自体についてのお話をさせて頂きます。

草木染め」は登録商標だった!

遡ること今から百年ほど前、大正デモクラシー華やかしき時代に山崎斌(あきら)という若き文芸家が現れます。島崎藤村ら文豪から高い評価を得て東京で作家活動を始めた斌さん、郷里である信州長野が当時の恐慌と近代工業化の波にのまれ衰退する様を目の当たりにします。そこで斌さんは一念発起、地元に戻ります。近代工業へのアンチテーゼもあったのか、地元の特産だった養蚕業を活かした絹織物と植物染めを中心とした工芸の復興活動をスタートします。

ですが斌さん、染め織りに関しては全くの門外漢。地元の紺屋さんや郷土作家さんたちの助けを借りながらのモノづくりだったようです。斌さんのその頃のご苦労は著書「草木染」や2005年開催「草木染めの命名者 山崎斌展」の図録にも書かれており、ひとかたならぬ骨を折っておられたことが分かります。当時すでに斜陽と化していた天然染料の染色技術を商品製作の域まで復活させるのは並大抵の事ではなかっただろうと想像します。

尽力の甲斐が叶い郷里の絹を天然染料で染め手織りで仕上げた着物を携え、とうとう昭和5年に東京銀座資生堂で初の作品展示に斌さんは漕ぎつけます。その時の会名が「草木染信濃地織復興展覧会」。草木染という名前が初めて使われたこの展示会は好評を博し、以降も展示注文の機会が増えます。ですが、新しい活動が話題になると必ず出てくるのが後追いプロダクト。その中に合成染料で染めたにもかかわらず「草木染」と称するものが散見されるのを憂いた斌さんはやむなく、草木染を施した絹織物の名として「草木」を昭和7年に商標登録し、同年受理されます。個人的な意見ですがこの草木染というネーミング、本当に素晴らしいと思います。豪奢でなく無名性を持ちストレートで分かり易い・・。山崎斌氏の文芸家としてのセンスがいかんなく発揮されたのでしょう。


山崎斌氏のお顔が分かる図録 孫の和樹さんから頂いた私の宝物です

現代に繋ぐ山崎家の草木染め

その後も斌さんは精力的に活動します。作品作りだけでなく展示会、講習会、講演、執筆などその活動は多岐にわたります。戦争のため一度は下火になりますが戦後再び工芸所を開設し草木染めの認知活動に奔走してゆきます。

文芸家だからこそ為せる草木染という命名センスもさることながら、斌さんの活動が素晴らしいと思うのは、研究し学んだことを全て開示されていたことだと思います。通常の職人や工芸家では成しえない物量の解説本や研究発表を遺しておられます。こうした斌さんの活動のおかげで草木染めは一般の人々にも親しまれるようになり、今こうして私も染めが出来るのだろうと思っています。そしてその活動精神は斌さんのご子息・山崎青樹氏、そしてお孫さんの山崎和樹氏へと代々大事に継がれ、今も健在です。

以前和樹さんとお話しする機会があったとき、和樹さんが斌さんのことを「ウチの爺さんが・・」とさらりと言っておられたのが、うらやましくて仕方ありませんでした。


山崎青樹氏の著書「草木染染料植物図鑑」 約五百種もの植物からいただく染め色と染め方を3冊にわたり紹介している名著中の名著です


そうそう、言い忘れましたが「草木」は山崎家が既に商標権を放棄されているので現在は誰もが使えるようになっています。多くの方に意味が正しく伝わるように言葉を守ったのちは、誰でも使えるようにオープンにしておられる山崎家の精神、素晴らしいです。草木染め、本当は私のようなポッと出の染め屋が使ってはいけない言葉だったのかもしれませんが、それを何事もなかったように許して下さる山崎家のお考えにはいつも敬意と感謝の念を抱かずにはいられません。



◆「百万人の草木染め論その1」はこちらからどうぞ
◆「百万人の草木染め論その2」はこちらからどうぞ