2026.04.15 ぼうさいらぼ

【熊本地震の教訓3】あの益城町はどうなったのか:仮設住宅で起きた孤独死と「より強く創り直す」復興のいま

熊本地震から10年・益城町の復興のあゆみを振り返る記事のサムネイル。「元に戻す」のではなく「より強く創り直す」というテーマ。

復興した」という言葉を聞くとき、あなたはどんな状態を思い浮かべますか。

建物が建て直された。道路が整備された。人々が戻ってきた。そういうことでしょうか。

益城町の10年を振り返ると、その問いへの答えがとても複雑であることがわかります。新しい庁舎が立ち、幹線道路が広くなり、感謝の取り組みが広く認められた。一方で、かつての地域のつながりはまだ再建の途上にあり、「復興した」と言い切れない部分も残っています。

この記事では、益城町の10年を時系列でたどりながら、「復興」の本質を一緒に考えてみます。

この記事でわかること
こんな方におすすめ!
  • 熊本地震の「その後」が気になっている方
  • 「復興」とは何か、改めて考えてみたい方
  • 被災地支援や防災まちづくりに関心がある方
熊本地震 特集記事
桜咲く熊本城:熊本地震から10年の軸記事サムネイル

熊本地震から10年

震度7に2度襲われた町、熊本県益城町のことを覚えていますか?

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発災直後:まず「眠れる場所」を作ることから始まった

2016年4月16日の本震から、益城町は住家の98%以上が何らかの被害を受けた町になりました。全壊だけで3,026棟(出典:益城町震災記録誌)。一夜にして、多くの人が家を失いました。

まず確保しなければならないのは「眠れる場所」です。指定避難所はすぐに満杯になり、多くの方が近くの公民館や車中泊を余儀なくされました(車中泊の詳細はこちら)。混乱を極める発災初期、行政は避難所の対応を進める傍ら、復興の第一歩である応急仮設住宅の建設に奔走します。

平成28年熊本地震時、熊本県益城町で開設された指定避難所での避難生活のようす

熊本地震での避難所の様子 画像出典:益城町(2020).「平成28年熊本地震 益城町震災記録誌」

同町では、当初800〜1,000戸程度の確保を目標にしていましたが、被害の全容が明らかになるにつれて数は膨れ上がりました。最終的に18団地・1,562戸の建設型仮設住宅が整備され、6月14日から入居が始まりました。みなし仮設住宅(民間賃貸住宅の借り上げ)への申込件数も1,400件に達しました(出典:益城町震災記録誌)。

熊本地震全体では、ピーク時の2017年5月末に2万255世帯・4万7,800人が何らかの仮設住宅に入居していました(出典:熊本日日新聞 2026年3月)。

仮設住宅の中で:「モノ」は揃っても「つながり」は戻らない

平成28年熊本地震の発災を受けて熊本県益城町に建設された応急仮設住宅の写真。益城町木山仮設団地。

益城町の応急仮設住宅(筆者撮影, 2016)

仮設住宅に入ることができた。それは間違いなく人々の復興への大きな一歩でした。しかし、別の問題が浮かび上がりました。

避難所では、嫌でも人と顔を合わせます。誰かが様子を見に来る。声をかける。それが仮設住宅では消えます。個室の扉を閉めれば、誰にも会わない日が続きます。

2017年3月、益城町の仮設住宅に一人で暮らしていた60代の男性が孤独死とみられる状態で発見されました。熊本県内のみなし仮設でも、同時期に複数の孤独死が確認されています。

この問題に対応するため、益城町・熊本市・西原村では「地域支え合いセンター」が設置されました。生活支援相談員が仮設住宅を巡回訪問し、孤立の防止や生活相談にあたりました(出典:熊本県被災者支援情報 2022年)。しかし、個別の支援にも限界があります。

平成28年熊本地震発災を受けて建設された熊本県益城町の応急仮設団地において、支え合いセンター生活支援相談員が戸別訪問を行うようす。

地域支え合いセンター職員による個別訪問 画像出典:益城町(2020).「平成28年熊本地震 益城町震災記録誌」

平常時から社会的なつながりが薄い人ほど、災害時に様々な困難に直面するリスクが高いことが研究で繰り返し指摘されています。「つながり」は、災害が起きてから作れるものではないのです。

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「感謝をデザインする」:arigato MASHIKIという取り組み

平成28年熊本地震の発災を受け、熊本県益城町保健福祉センター(はぴねす)で被災者への対応にあたる、全国から集結した応援職員のようす

多数の自治体から集まった応援職員が対応する町の公共施設(筆者撮影, 2016)

住民の仮設住宅での生活が続く中、益城町は別の問いとも向き合っていました。「全国からこんなにたくさんの支援をもらっている。どう応えればいいのか」。

震災直後から、全国の自治体・企業・ボランティア・一般市民から物資・義援金・人的支援が届き続けました。その気持ちに町が感謝を伝えるために生まれたのが「arigato MASHIKI」という取り組みです。

被災地から感謝を伝える取り組み「arigato MASHIKI」(2021年度グッドデザイン賞受賞)のイメージ写真。熊本県益城町のコミュニケーションマークを持つ町役場職員。熊本県益城町役場・仮設庁舎にて撮影。

画像提供:熊本県益城町

町役場の企画財政課・産業振興課・まちづくり推進室などが連携し、「感謝をデザインとして発信し続ける」取り組みを始めました。町のコミュニケーションマークを軸に、復興の進捗を視覚的に表現し、支援者に「益城は前に進んでいる」と伝え続けました。この取り組みは2021年度のグッドデザイン賞を受賞しています。

被災地から感謝を伝える取り組み「arigato MASHIKI」(2021年度グッドデザイン賞受賞)のイメージ写真。熊本県益城町の特産品である焼酎「こめます」をはじめ、封筒、ダンボール、名刺、パンフレット、バッグ、看板にいたるまで、取り組みのシンボルであるコミュニケーションマークを配置し、熊本県益城町の感謝の気持ちを発信し続けている。

画像提供:熊本県益城町

「受け取るだけの被災地」ではなく、能動的に発信する。その姿勢そのものが、復興の一形態だったと思います。

ハードの復興:新庁舎と、幹線道路の全線開通

インフラ面の復興も、着実に前進しました。

新庁舎の完成(2023年3月)

震災で使用不能となった旧庁舎の跡地に、新庁舎が完成しました。被災庁舎の建て替えを決めた県内8市町で、最後の落成です。鉄筋コンクリート造り4階建て、免震構造、屋上に3日間稼働できる非常用発電機。「次の大地震にも耐える司令塔」として整備されました。復興まちづくりセンターや街区公園と一体的に整備され、いまは「まちの賑わい拠点」として機能しています(出典:株式会社オカムラ「益城町役場庁舎 事例」)。

2023年3月に竣工した熊本県益城町役場の新庁舎。平成28年熊本地震で被災し、深刻なダメージを受けたため、建て替えが進められていた。

画像提供:熊本県益城町

あの夜、行政の司令塔が最初に崩れた町が、10年かけてここまで来ました。

県道熊本高森線の4車線化・全線開通(2026年3月20日)

熊本県が「創造的復興のシンボル」と位置づけた県道熊本高森線の4車線化区間(約3.8キロ)が全線開通しました(出典:熊本日日新聞 2026年3月)。道幅は約10メートルから約27メートルへ。総事業費は約195億円。震災直後、倒壊家屋が道をふさいで救助を阻んだ路線が、災害時の輸送ルートとして生まれ変わりました。

平成28年熊本地震の発災を受け拡張工事が行われていた熊本県道高森線。2026年3月に全面開通。九州自動車道上空付近から広崎~惣領区間を空撮した写真。

4車線化された県道熊本高森線 提供:熊本県益城町

単なる道路拡幅ではなかった点も注目に値します。熊本大学「ましきラボ」と連携し、完成後の道路・街並みの模型を使って住民と意見交換を重ねながら、まちづくりと一体となった道づくりが進められました。「住民と一緒により良いまちを設計する」という姿勢が、復興事業の根幹にあったのです(出典:熊本県計画学研究会誌)。

益城町中心部では「益城中央被災市街地復興土地区画整理事業」(28.3ヘクタール、総事業費約210億円)も進行中で、2028年3月の完了を予定しています(出典:熊本日日新聞 2026年3月)。

仮設から公営住宅へ:「住まい」と「コミュニティ」は別問題だった

益城町の災害公営住宅は、2020年3月までに合計19地区671戸が完成しました(出典:益城町)。各団地には広場・共同菜園・集会所を設け、入居者同士が交流できる工夫が施されました。

しかし、「住まい」の確保と「コミュニティの再建」は、別の問題です。

仮設住宅では、隣人と長い時間をかけて人間関係が育まれます。しかし公営住宅に移転すると、その関係が一度リセットされます。新しい環境で、また一から…これが阪神・淡路大震災のときに「孤立・孤独死の多発」として表れた問題でした。東日本大震災では、仮設で形成されたコミュニティを公営住宅に継承する取り組みが各地で実施されました(出典:東日本大震災の教訓継承サイト)。

熊本地震でも同様の課題が続いています。「被災者が安心して暮らせる生活基盤の確保は道半ばだ」と、地元紙の解説記事は伝えています(出典:熊本日日新聞 2026年3月)。

ハードの復興は数字で測れます。完成した建物の棟数、開通した道路のキロ数。でも心の復興はどう測ればいいのか。10年経った今も、その答えは出ていません。

震災の記憶を、誰が伝えるか

益城町は2022年に「益城町復興まちづくりセンター にじいろ」を開設し、熊本地震の記憶を継承する場としました。布田川断層帯が地表に現れた3地区は震災遺構として国の天然記念物に指定されており、後世へ「あの揺れ」を伝えています。

益城町復興まちづくりセンター「にじいろ」施設前の木山交通広場オープンを祝した集合写真。

益城町復興まちづくりセンター にじいろ(写真奥の平屋建物)」 画像提供:熊本県益城町

熊本地震が起きた2016年に生まれた子どもたちは、今年10歳です。直接経験した世代は、確実に少なくなっていきます。

「聞く人」がいなければ、語る人も語れなくなります。震災の記録を読む、被災地に足を運ぶ、経験者の話を聞く…益城町ではこれを「記憶の継承」と呼んでいます(参考:益城町「熊本地震「記憶の継承」」)。震災の記憶を、遠く離れた人からも紡ぐこのような行動は、遠い被災地への配慮というより、次の大地震が来たときに「知っていたか、知らなかったか」の差を作る、自分自身のための行動です。

益城町のウェブサイトでは、益城町震災記録誌を全文公開しています。あの夜からの復旧・復興のあゆみが、さまざまな視点から詳細に記録されています。ぜひ、少しだけ開いてみてください。

今回のポイントまとめ
  • 益城町では18団地・1,562戸の仮設住宅が整備されたが、孤立・孤独死という「第二の被災」も起きた
  • 全国から寄せられた多大な支援に対し、「ありがとう」の気持ちを継続的に発信している
  • 2023年に新庁舎完成、2026年に幹線道路全線開通:ハードの復興は確実に進んだ
  • 「住まい」の確保と「コミュニティの再建」は別問題。心の復興は今なお続いている
  • 震災の記憶を聞く・紡ぐことは、次の大災害への自分自身の備えになる

「ちょっと防災」、今日から始めてみてください。

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サトウ先生|博士(工学) / 防災士
京都光華大学 社会学部 社会共創学科
「専門知識を、わかりやすく身近に。」これまで数々の自然災害を目の当たりにしてきた実体験をもとに、防災に関する大学での講義や地域での講演を行っている。南国出身のため雪にはとっても不慣れで、京都での最大の災難は大雪のときに滑ったことだと思っている。摩擦係数の計算は得意だが、雪道の滑りやすさは計算外だった。だが、その失敗さえも防災の教訓に変えてしまうのが私のスタイルだ。実に面白い。
謝辞

本記事の執筆にあたり、熊本県益城町様に多数の写真をご提供頂きました。この場を借りまして感謝申し上げます。

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このブログは、学生や地域の皆様が防災の基本を体系的に学べる「オンライン防災教本」を目指して、本学教員である筆者の研究・教育成果に基づき作成しています。
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参考・出典
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