2026.04.16 ぼうさいらぼ

熊本地震から10年:震度7に2度襲われた町、熊本県益城町のことを覚えていますか?

桜咲く熊本城を背景に「7×2 熊本地震から10年」と記された、益城町を主役にした熊本地震10年を振り返る記事のサムネイル

2026年4月16日、熊本地震は本震の発生から10年を迎えました。2度の震度7、死者の約8割を占めた「災害関連死」、避難者の約7割が経験した「車中泊」。熊本地震が残した教訓は、次の大災害で再び問われます。この記事では、熊本地震で最も深刻な被害を受けた益城町の当時と10年後のいまをお伝えします。

【注意事項】
この記事には発災直後の被災地の写真が含まれています。気分を害される恐れのある方は「戻る」ボタンから別の記事へお進み頂きますようお願いいたします。
この記事でわかること
こんな方におすすめ!
  • 熊本地震について改めて学び直したい方
  • 「関連死」「車中泊」「福祉避難所」という言葉が気になっている方
  • 次の大災害に備えたい方

2度の震度7:熊本地震はどんな災害だったか

2016年4月14日午後9時26分、熊本県熊本地方を震源とするマグニチュード6.5の地震が発生しました。益城町で震度7を記録したこの地震は、後に「前震」と呼ばれることになります。しかし、その夜の時点では誰もそれを知りませんでした。

28時間後の16日午前1時25分、同じ地域をマグニチュード7.3の地震がふたたび直撃します。「昨夜の地震でもなんとか生き延びた。もう大丈夫」そう思って屋内に戻っていた人たちが、真夜中の2度目の揺れに叩き起こされました。

平成28年熊本地震時の熊本県益城町における断層帯付近の亀裂分布と震源を表す図。国土地理院の資料を基に熊本県益城町が作成。

平成28年熊本地震 益城町の断層帯付近の亀裂分布と震源を表す図
(画像提供:熊本県益城町(国土地理院の資料を基に同町が作成))

この「前震→本震」という発生パターンは、日本の地震観測史上きわめて異例でした。前震以降、12月末までに4,209回の地震が観測され、震度6弱以上だけでも7回にのぼります(出典:気象庁)。約2時間に1回のペースで揺れ続けた「終わらない余震」が、その後の避難のあり方を大きく変えていきました。

278名 熊本地震の死者数(2025年3月時点)
うち直接死 50名 / 災害関連死 228名(約82%)

犠牲者の約8割が、建物の倒壊ではなく、避難生活の疲労や持病の悪化など、震災が間接的な要因となって亡くなっています。「揺れが収まれば助かるわけではなかった」熊本地震は、そのことを皆に突きつけた災害でした。

出典:熊本県(2023)「平成28年熊本地震に係る被害状況等について」

SECTION 02

住家の98%以上が被害:益城町の惨状

熊本地震で最も激しい被害を受けたのが、熊本市の東隣に位置する益城町です。人口約3万4,000人(発災当時)、前震・本震の震源に最も近いこの町では、「ほぼ全ての住家が何らかの被害を受けた」と益城町震災記録誌は記しています。

町内の住家総数10,742棟のうち、全壊が3,026棟(28.2%)、大規模半壊が791棟(7.4%)、半壊が2,442棟(22.7%)、一部損壊が4,325棟(40.3%)。被害なしはわずか1.4%でした。熊本県全体の全壊棟数8,649棟のうち、益城町だけで35%が集中していました。人的被害は直接死20名・関連死25名の計45名、ピーク時の避難者数は最大16,050名に及びました(出典:益城町震災記録誌)。

町役場本庁舎はエレベーター棟が倒壊するなど使用不能となり、行政機能を担う「司令塔」の機能が最も必要な時に大きく失われました。

SECTION 03

熊本地震が浮き彫りにした3つの課題

熊本地震では、以下の3つの課題があらためて浮き彫りとなりました。これらは今後の大災害でも繰り返されうる課題として認識する必要があります。

1

「車中泊避難」と、見えない被害者

余震の恐怖から屋内の避難所に入れず、自家用車での避難を選んだ被災者が大量発生しました。熊本県のアンケートでは、避難経験者の約7割が車中泊を経験。益城町のグランメッセ熊本駐車場だけで約10,000人が車中泊しました(出典:益城町震災記録誌)。

平成28年熊本地震時の車中泊の様子

平成28年熊本地震発生後に車中泊を行う住民
(画像出典:熊本県益城町「平成28年熊本地震 益城町震災記録誌」)

指定避難所の外にいる車中泊避難者は支援の目が十分に届かない場合もあり、発災から2日後の4月18日にはエコノミークラス症候群(静脈血栓塞栓症)の疑いで1人の方が亡くなりました(産経新聞, 2016)。熊本地震の災害関連死者数228人のうち、少なくとも60人以上が車中泊を経験していたとの報告もあります(ウェザーニュース, 2018)。これらのデータは、命をつなぐために選んだ車中泊生活が、結果として命を奪う大きな原因となってしまったことを示唆しています。

熊本地震 関連記事
熊本地震の車中泊避難とエコノミークラス症候群のリスクを解説する記事のサムネイル。車内で胸に手を当てる女性と、足のむくみの写真。

熊本地震の教訓 1

避難者の約7割が経験した「車中泊」:命を奪うエコノミークラス症候群にどう備えるか

記事を読む →
2

「福祉避難所」がすぐに機能しなかった

高齢者・障がい者など要配慮者を受け入れる「福祉避難所」。益城町では5カ所が事前指定されていましたが、スムーズな開設・避難者の受け入れができませんでした。この理由として、町では「施設自体が被災した」「マンパワーや設備が不足していた」ことに加え、「役場職員や関係機関に浸透していなかった」ことを挙げています(出典:益城町震災記録誌)。

トレーラーハウスを活用した福祉避難所(避難スペース)の開設
(画像出典:熊本県益城町「平成28年熊本地震 益城町震災記録誌」)

町では緊急の福祉避難所として、トレーラーハウスの活用などで避難スペースの確保に努めました。このような福祉避難所の開設に関する課題は、益城町だけではなく熊本市など熊本地震で被災した自治体の多くが教訓として挙げています(木作ら, 2020)。

熊本地震 関連記事
熊本地震で被災した家屋と避難する人々の重苦しく暗い写真イメージ。右側に大きく「福祉避難所の課題」という文字。左側には、家族に支えられながらも困った顔の高齢者。10年前の益城町の教訓から、福祉避難所の課題と命を守る備えを解説する記事サムネイル。

熊本地震の教訓 2

「福祉避難所」はなぜ機能しなかったのか:制度と現実のギャップと、今できる確認

記事を読む →
3

仮設住宅での孤立:「第二の被災」

最終的に18団地・1,562戸の仮設住宅が整備されましたが(出典:益城町震災記録誌)、集団生活の避難所から個室の仮設住宅に移ることで人の目が届かなくなり、孤独死が発生しました。「モノ」の欠乏よりも「つながり」の喪失が命を奪う。平常時から社会的なつながりが薄い人ほど、災害時に様々な困難に直面するリスクが高いことが研究で繰り返し指摘されています。「つながり」は、災害が起きてから作れるものではないのです。

平成28年熊本地震の発災を受けて熊本県益城町に建設された応急仮設住宅の写真。益城町木山仮設団地。

熊本県益城町に建設された応急仮設住宅
(筆者撮影, 2017)

熊本地震 関連記事
益城町の新庁舎を背景に「益城町はどうなったのか」と問いかける、仮設団地における「孤独死」の教訓と、熊本県益城町における熊本地震10年の復興のいまを伝える記事のサムネイル

熊本地震の教訓 3

あの益城町はどうなったのか:仮設住宅で起きた孤独死と「より強く創り直す」復興のいま

記事を読む →
SECTION 04

10年で変わった益城町:節目を迎えたハードの復興と、これからも続く人々の心の復興

10年間で、益城町の姿は大きく変わりました。

2023年3月、免震構造を備えた新庁舎が完成。被災庁舎の建て替えを決めた県内の市町村で最後の落成となりました。2026年3月20日には、熊本県が「創造的復興のシンボル」と位置づけてきた県道熊本高森線の4車線化区間(約3.8キロ)が全線開通。道幅は約10メートルから約27メートルへと生まれ変わりました(熊本日日新聞, 2026)。

一覧に戻る