エッフェル塔、行ってきました。この辺りはセーヌ川まで歩いて5分もありません。
観光地をハザードマップ片手に歩くこのシリーズ、今回は番外編としてパリにやってきました(飛びすぎじゃない…?)。世界中から観光客が集まるエッフェル塔の周辺には、実は日本とは違う仕組みの「水害リスクの見える化」が存在します。フランスではどのように水害リスクを把握するのか。そして、エッフェル塔は1910年の大洪水のとき何を見ていたのか。防災目線で歩いてみます。
京都をはじめとする観光スポットをハザードマップ片手に巡り、普段は見えにくい災害リスクを解説するシリーズです。「知ってから行く」ことで、いざというときの行動が変わります。【今回はパリ編です】
- パリ旅行を予定している方
- 「ハザードマップって海外にもあるの?」と思っている方
- 日本とフランスで、水害リスクの伝え方がどう違うか気になる方
エッフェル塔はどんな場所にあるのか
エッフェル塔(La tour Eiffel)は、1889年のパリ万博のために建設された、高さ330m(アンテナ含む)の鉄塔です。設計者ギュスターヴ・エッフェルの名をとって命名され、建設当初は「パリの景観を損なう醜い構造物」として批判を受けながらも、今や年間600万人以上が訪れる、世界で最も来場者数の多い有料観光施設のひとつとなっています。
右岸から眺めるセーヌ川とエッフェル塔。筆者撮影。
エッフェル塔が立つのは、パリ7区のセーヌ川左岸です。タワーの北西端から川岸まで、直線距離でわずか400〜500m。足元に広がるシャン・ド・マルス(Champ-de-Mars)公園は広大な芝生の広場で、開放感あふれる「川沿いの観光地」として多くの人に親しまれています。
シャン・ド・マルス公園とエッフェル塔(画像出典: Dunhill@PhotoAC)
エッフェル塔があるパリ7区の地形を知る
まず、このエリアの地形を頭に入れておきましょう。
パリはセーヌ川がゆるやかにS字を描きながら東西に流れる盆地状の地形に位置しています。エッフェル塔の立つ7区一帯は、セーヌ川の旧河床(かつて川が流れていた地帯)が広がる低地です。川から離れているように見えても、地盤の高さは川面とほとんど変わりません。
パリは「4つの川の合流点」に位置しています。セーヌ川、マルヌ川、オワーズ川、ヨンヌ川。上流のいずれかで大雨が降ると、その水が時間差で合流しながらパリに向かって流れてきます。「パリの都心は、複数の上流域の水が集まってくる最終的な受け皿」。これがこのエリアの地形的な特徴です。
フランスの「水害リスクマップ」を見てみた
フランスには「PPRi(洪水リスク防止計画:Plan de Prévention des Risques d’Inondation)」という制度があります。日本のハザードマップとは異なり、PPRiは主に「建築規制」を目的とした法的な文書です。パリ県のPPRiは、浸水リスクを4つのゾーンに区分しています。
出典:パリ県PPRi規則(arrêté préfectoral n°2007-109-1、2007年4月19日承認)
このマップでエッフェル塔、シャン・ド・マルス周辺を確認してみると…
パリ5区〜7区のPPRiマップ。紫で囲った部分がエッフェル塔とシャン・ド・マルス公演(画像出典:Île-de-France「Prévention des risques naturels」)
エッフェル塔とシャン・ド・マルスは、浸水エリアとして着色されていません。
周辺の建物エリアは青ゾーンに指定されているのに、エッフェル塔とシャン・ド・マルスだけが白いまま。他にも、同国のInstitut Paris Régionが公開する参考情報マップ「ZIP-ZICH」でも以下のように洪水リスクの分布が表示されています。
Institut Paris Région「ZIP-ZICH」によるエッフェル塔周辺の浸水リスクを表したマップ(画像出典:ÎInstitut Paris Région「Cartoviz ZIP」)
「だったら安全なのか?」そう思ったとき、1910年の水害時に撮られた1枚の写真が頭に浮かびました。
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1910年の「crue centennale(百年に一度の洪水)」で何が起きたか
エッフェル塔が建てられてから21年後の1910年1月。パリは前年秋から異常に多雨な冬を過ごしていました。凍りついた地面に雨水が染み込めず、上流の各河川が次々と溢れ始めます。

1910年の大洪水の際に撮影されたエッフェル塔周辺の浸水状況(画像出典: gallica.bnf.fr / Bibliothèque nationale de France)
1910年1月28日、セーヌ川の水位はオステルリッツ観測所で8.62mに達しました。パリ市内の約2万棟の建物が浸水し、市街の広い範囲が水に沈み、地下鉄の約半分が運行停止となりました。
ではエッフェル塔は?当時の新聞記録を調べると、こんな事実が出てきます。
「本日約1,000人の訪問者がタワーの第3プラットフォームから洪水を眺めに来た」(ル・プチ・パリジャン、1910年1月23日付)
「シャン・ド・マルスでは、エッフェル塔の第1プラットフォームから、無線電信ポスト周辺に異常な活動が見られた。水が地下室に浸入しており、ポンプで排水が行われていた」(ル・マタン、1910年1月27日付)
エッフェル塔の管理者の公式声明:「タワーの柱の下に40cmの水があるが、それ以上あっても問題はない」
つまり、シャン・ド・マルスの地表面が水没したわけではありませんでした。水に囲まれたのは、当時エッフェル塔の脇にあった鉄道操車場エリアと周辺道路。エッフェル塔の地下設備には水が入り、無線施設が機能停止しました。
地図に着色されていないという事実と、1910年に周辺が水に囲まれたという事実は矛盾しません。「地表は水没しなかったが、地下には水が入った」「周囲の低地は水没した」。これが着色されていない=安全ではないの意味です。
- 最高水位:8.62m(オステルリッツ観測所、1910年1月28日)
- 浸水した建物:パリ市内だけで約2万棟
- 冠水した道路:約300
- 地下鉄:当時の路線の約半分が運行停止
- 被害総額:約4億フラン(現在価値で約15億ユーロ相当)
- 水位が最高となるまで:約10〜15日
- 水が引くまで:数週間〜2ヶ月
出典:Wikipedia(FR)「Crue de la Seine de 1910」 など
セーヌ川の洪水の特徴:「緩やかに来る」
渡月橋の記事で解説した「桂川の洪水」と、セーヌ川の洪水には、大きな違いがあります。
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1910年のケースでも、水位の上昇は「1日あたり約50cm」というペースで、平均して約10日かけて最高水位に達しました。これは「逃げる時間がある」ということでもあり、同時に「水が引くのはそれ以上かかる」ということでもあります。
- 上昇:数日〜10日間かけて緩やかに水位上昇
- 継続:最高水位付近に数日とどまる
- 下降:上昇にかかった以上の時間をかけてゆっくり引く
- 警報:Vigicrues(フランス国の河川水位監視システム)から数日前に予警報が出る
日本の「大雨警報が出たら今すぐ動く」とは異なる時間感覚での対応が求められます。
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ズワーブ像:170年間パリ市民が使ってきた「洪水の目安」
エッフェル塔からセーヌ川に向かって歩くと、アルマ橋(Pont de l’Alma)があります。その橋脚に、一人の兵士の石像が立っています。
アルマ橋の橋脚に立つズワーブ像。1910年の大洪水では水が肩まで達したと記録されている。筆者撮影。
ズワーブ像(Le Zouave du pont de l’Alma)は1856年、フランスの彫刻家ジョルジュ・ディエボルによって制作された石像です。クリミア戦争で戦ったフランス軍の兵士「ズワーブ」を模しています。
1970年代に橋が架け替えられた際、それまで設置されていた他の3体の像は撤去されましたが、ズワーブ像だけは「パリ市民の洪水指標」として外せないという理由で、ただ一体、新しい橋に再設置されました。
パリ市民は今もこの像を見て洪水の深刻さを測ります。像に水が来ていないときが「平常」。足元に水が来れば川岸閉鎖のサイン。1910年の大洪水では、肩まで水が達したと記録されています。
観光客は普段の水位を知りません。だからこそ、像を見て「足元に水がある」「膝まで来ている」という状態が異常だと気づくためのサインとして活用できます。
- 足元まで水が来る:川岸の遊歩道が閉鎖されるレベル
- 膝まで水が来る:要注意、地下鉄への移動を控える(2001年洪水・水位約5mのとき)
- 腰まで水が来る:観光を中止、川沿いから離れる
- 肩まで水が来る:パリ全体が麻痺(1910年大洪水・水位8.62mのとき)
1970年代の橋の架け替えで像の設置位置が変わっており、現在の像の水位目安は旧橋時代の記録と完全には一致しない可能性があります。フランス国土環境局(DRIEAT)も正確な対応関係を公式には確認できていません。あくまで「目安として参照する」程度にとどめ、公式の水位情報はVigicrues(https://www.vigicrues.gouv.fr/)で確認してください。
パリ特有のリスク「地下から来る水」
1910年の洪水で多くのパリ市民が驚いたことがあります。セーヌ川から数百メートル離れた場所でも、川が溢れる前に地面から水が湧き出してきたのです。
パリの地下には古くから地下水脈と地層の隙間があり、セーヌ川の水位が上がると、川底から地下水層に水が浸透し、それが市街地の至る所から噴き出します。下水道を逆流してくるケースも頻発しました。「川が溢れた場所だけが危ない」のではなく、「川沿いにいなくても地面が水浸しになる」。これがパリの洪水の怖さです。1910年当時と比べて、現在のパリ市内の地下はより複雑に入り組んだものとなっています。現代でも、地下鉄・地下駐車場・地下施設への浸水リスクとして依然残っています。
エッフェル塔周辺を歩いて感じたこと
実際にエッフェル塔の足元に立ってみると、「周辺に洪水の危険がある場所」という感覚はまったくありません。整備された芝生、記念写真を撮る観光客、川風。観光地として大変魅力的な空間です。
エッフェル塔を足元から望む。筆者撮影。
でも、案内板には何も書いてありません。渡月橋の嵐山公園には「観光客緊急避難広場」の標識がありました。このシャン・ド・マルスには、水害リスクを示す表示は見当たりませんでした。リスクが存在しないのではなく、「見えていない」のです。
エッフェル塔周辺の観光に訪れた日に「もしセーヌ川が氾濫したら、どちらに逃げるか」を一度だけ考えてみること。
基本方針は「川から離れる」「低地から出る」の2点です。エッフェル塔、シャン・ド・マルス周辺にいる場合は、南方向(エコール・ミリテール方面)またはトロカデロ丘(エッフェル塔の対岸・16区側)が相対的に標高が高い方向です。
ただし、セーヌ川の洪水は数日前から予警報(Vigicrues)が出ます。「洪水が発生してから逃げる」ではなく、「予警報の段階で行動を変える」ことが原則です。フランス政府の水害警戒情報:https://www.vigicrues.gouv.fr/
観光でエッフェル塔周辺を訪れるときに気をつけること
シャン・ド・マルス自体は洪水浸水エリアに指定されていません。しかし「エッフェル塔周辺なら安全」とは言い切れない理由が3つあります。
[1] 右岸側は浸水エリアです
エッフェル塔は左岸(7区)にありますが、アルマ橋周辺は、渡った先の右岸(8区)はもちろん、渡る前の左岸の川沿いも含めて広い範囲で洪水浸水エリアに指定されています。セーヌ川を渡るルートでエッフェル塔に向かう場合、橋の上で右岸と左岸では状況が異なることがあります。特に川の水位が上昇しているときは、どちら側にいるかを意識してください。
[2] 地下施設は浸水リスクがあります
1910年の洪水でも、エッフェル塔の地下室に水が入り無線施設が機能停止しました。地表が浸水しなくても、地下には地下水脈からの浸透水が入ります。セーヌ川の水位が上昇しているときは、地下鉄・RER・地下駐車場など地下施設の利用に注意してください。
[3] ズワーブ像を確認してください
アルマ橋のズワーブ像の体のどこまで水が来ているかを見ると、セーヌ川の水位の深刻さを直感的に把握できます。観光客は普段の水位を知りません。だからこそ、像を見て「足元に水がある」「膝まで来ている」という状態が異常だと気づくためのサインとして活用できます。Vigicruesで事前に水位を確認すると良いでしょう。
- 訪問前に、フランスの水害警戒情報「Vigicrues」でセーヌ川の水位を確認する
→ https://www.vigicrues.gouv.fr/ - セーヌ川の水位が「警戒(Vigilance orange)」以上のとき、川沿いの観光は計画を変更することを検討する
- セーヌ川を渡るルートで移動するとき、右岸側の状況を確認する
- 川の水位が上昇しているときは、地下鉄・RERの利用を控えることを検討する
- アルマ橋のズワーブ像の体が水に浸かっていたら、状況を再評価する合図にする
- 「シャン・ド・マルスは地図に色がついていないから安全」とは思わない
- 帰国後、自宅周辺のハザードマップも確認してみる(旅が防災の入口に!)
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まとめ:「地図に色がない」は「安全」ではない
- エッフェル塔はセーヌ川から400〜500mの低地に位置する
- フランスの洪水リスクマップ(PPRi・ZIP-ZICHマップ)で、エッフェル塔、シャン・ド・マルスは浸水エリアとして着色されていない
- しかし1910年の大洪水では、周辺の道路・鉄道・地下設備が浸水した。「着色されていない」=「リスクがない」ではない
- セーヌ川の洪水は「緩やかに来る(約10日で上昇、それ以上の時間をかけて引く)」。桂川とは時間感覚が違う
- アルマ橋のズワーブ像は170年間、洪水の深刻さを伝えてきた民間の指標(ただし1970年代の移設で正確な水位対応は変わっている可能性あり)
- Vigicruesで事前に水位を確認し、警戒情報が出たら行動を変える判断が重要
「防災目線で観光する」というのは、観光の楽しさを削ることではありません。知識がひとつ加わることで、同じ景色がより豊かに見えてきます。
「ちょっと防災」、今日から始めてみてください。
次回:誰もが知っているルーブル美術館は、洪水の想定区域にある:フランス・パリ1地区をハザードマップ片手に歩いてみた(1)
2016年6月3日、ルーブル美術館は臨時休館し、48時間で3万5000点の収蔵品を動かしました。「備えた組織は、洪水の中でも動けた」。その話を次回お伝えします。
このブログは、学生や地域の皆様が防災の基本を体系的に学べる「オンライン防災教本」を目指して、本学教員である筆者の研究・教育成果に基づき作成しています。
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- Géorisques(フランス国土環境リスク情報ポータル)
- パリ県PPRi規則(arrêté préfectoral n°2007-109-1、2007年4月19日承認)
- Institut Paris Région「Cartoviz ZIP(浸水エリアインタラクティブマップ)」
- Vigicrues(セーヌ川水位警戒情報サービス)
- Wikipedia(仏語版)「Crue de la Seine de 1910」
- Wikipedia(英語版)「Zouave (Pont de l’Alma)」
- Wikipedia(仏語版)「Zouave du pont de l’Alma」
- Gallica(フランス国立図書館デジタルアーカイブ)
- Histoires de Paris「La fausse rumeur de la Tour Eiffel lors de la crue de 1910」
- エッフェル塔公式サイト

