case01
Project
いくつになっても食べる楽しみを味わえるように
01
Well-Beingの実現へ
京都光華の想い
食べ物が気管に入りそうになってむせた経験はありませんか?
若いうちなら勢いよく空気を吐き出すことができますが、高齢になるとそうはいきません。
実際に、食べ物や飲み物が気管に入ってしまうことが原因の
「誤嚥性肺炎」によって亡くなる高齢者が多くいます。
では、高齢者の食事は絶対安全に飲み込めるドロドロのものにするべきなのでしょうか?
高齢者に「食べる楽しみ」は必要ないのでしょうか?
京都光華女子大学では、いくつになっても食べる楽しみを味わえて、
しかも飲み込みやすい和菓子の開発や普及活動を行っています。
学部学科の枠を超え、教員、学生が地域と連携して取り組んできたストーリーをご紹介しましょう。
Project members
プロジェクトメンバー
-
関 道子 教授
健康科学部 医療福祉学科
会社員から言語聴覚士に転身。医療機関での勤務を経て本学へ。
-
下山 亜美 准教授
健康科学部 健康栄養学科
博士号取得後、管理栄養士として大学や行政(保健所)での勤務を経て本学へ。
-
羽深 太郎 講師
短期大学部 ライフデザイン学科
千葉工業大学大学院修了。自動車メーカーで感性品質のデザイナーの経験を経て本学へ。短期大学部ではデザイン企画分野を担当。
-
吉川 秀樹 教授
副学長 健康科学部長
健康栄養学科専門分野は食品中の機能性成分。2003年より京都光華女子大学で教育と研究に携わる。
-
橋口 美智留 准教授
健康科学部 健康栄養学科
管理栄養士。専門分野は保健栄養学。難消化性糖質の機能性に関する研究などを行う。
-
Y.W さん
健康科学部 医療福祉学科
言語聴覚専攻 2年生福祉への興味から言語聴覚士を志す。「この経験を将来にも生かしたいです。」
-
K.N さん
健康科学部 医療福祉学科
言語聴覚専攻 2年生高校生の時から言語聴覚士を目指し本学へ。「これからも活動を続けたいと思います。」
いくつになっても
食べる楽しみを味わえるように
01
「食を楽しむには、見た目や食感も大事」
飲み込みやすい和菓子開発が研究の原点
ものを食べて飲みこむ時の口やのどの動き。意識してみると、実に多くの器官や筋肉が連携しながら、ものを食道に送り込んでいることがわかるでしょう。ものを飲みこむことを「嚥下(えんげ)」といいます。病気や加齢によって、この複雑な動きができなくなるのが「嚥下障害」です。
健康科学部 医療福祉学科 関道子教授は、本学への赴任前、言語聴覚士として医療機関に勤務していました。リハビリなどを通して嚥下障害の患者さんの支援を行うのも言語聴覚士の大切な仕事です。その中で関教授は、嚥下障害の患者さんの病院食に問題意識を持つようになりました。「原形がわからないようなペースト状のものが多く、これでは食べる意欲がわかないのではないかと思ったのです。飲み込みやすいことは大切ですが、ものを食べる時は、それだけでなく見た目や食感もとても大事な要素です。嚥下障害があってもそれらを楽しめる食品を提供できないかと考えるようになりました。」
思いを共有する医療や介護の専門職と共に始めたのが、京都ならではの食文化を生かして、飲み込みやすい食べ物を作る「嚥下調整食プロジェクト」でした。その中で関教授は、和菓子職人と協同で「飲み込みやすい和菓子」の開発に取り組みます。「おやつは生活の彩り。ゼリーやプリン以外に、食べる楽しみや喜びを感じてもらえる和菓子を作りたいと思いました」。和菓子といえば団子や餅。でもそれらは嚥下障害の方にとって非常に危険な食品です。当の和菓子職人も最初は及び腰だったそうですが、持ち前の職人気質でトライ&エラーを繰り返した末、団子や餅菓子の食感を残し、しかも飲み込みやすい嚥下調整食和菓子の開発に成功。関教授にとって、この経験が、今に至る研究の原点となりました。
02
他学科の教員も参加し
データによる食感の評価も可能に
2014年、関教授が本学に赴任すると、この取り組みはさらに広がっていきます。関教授がまず考えたのが「学生と一緒に何かできないだろうか」ということでした。本学には、学生が自由に参加できる学習グループ『学Booo(まなぶー)』があります。そこで関教授は、高齢者が美味しく安全に食べることを支援する「KOKA★オレンジサポーターズ」の発足を後押し。開発した嚥下調整食和菓子を地域のデイサービスに提供するなどの活動がスタートしました。
関教授の取り組みに共感し、健康科学部 健康栄養学科の教員が学科の枠を超えて研究に参加しました。本学の副学長であり健康科学部の学部長でもある吉川秀樹教授、橋口美智留准教授、そして今回取材にご参加くださった下山亜美准教授です。
下山准教授の専門分野は、タンパク質(特に新規食品素材の構造解析や機能特性の分析)および食物アレルギーです。食品のさまざまな特性を明らかにするためにHPLCやシーケンサ、クリープメーターなどの様々な測定機器を今までに用いていたことや吉川副学長にお声掛けいただいたことも参加の決め手になったといいます。
「開発した和菓子が嚥下調整食として適しているかどうかを評価するには「かたさ」「のどごし」「まとまり」などの項目を客観的に評価することも不可欠であることから、研究者として必要なデータを提示することによって何かのお役に立てると思いました。」と下山准教授は語ります。
吉川副学長をはじめとする健康栄養学科の教員の参加によって、嚥下調整和菓子を評価する際に、人の五感を使った「官能評価」だけでなく、栄養学に基づく客観的なデータを用いた「物性評価」も可能となりました。この頃から本学では、学外からの依頼に応じて市販品の物性を測定するなどの活動も行うようになりました。
大学近隣の和菓子店とコラボして「やわらか紫蘇餅」の開発も行いました。色や形には学生の意見も取り入れられています。見た目以上にやわらかく、香りも楽しめて、嚥下障害の方も安心して食べられる和菓子は、今もウェブサイトで販売されています。
03
工学的に食品を「デザイン」し
商品を世の中に普及させたい
2018年秋、関教授は、短期大学部ライフデザイン学科 羽深太郎講師の研究室を訪ねました。嚥下調和菓子のパッケージデザインを依頼するためです。ところが話を聞いた羽深講師は「一緒にやらせてください」と、パッケージデザインのみならず研究への参加を決めたといいます。
自動車メーカーのデザイナーだった羽深講師。「デザイン」と言っても、造形的なものではなく、見た目の高級感や手触りなど、人の感覚を定量化してデザインに導く仕事です。関教授の研究を知って「嚥下障害の方が食べやすい和菓子の食感を『デザイン』してみたいと思ったんです」と当時を振り返ります。
羽深講師の参加によって、このプロジェクトは新たな課題を見出すことになりました。それは「嚥下調整食和菓子を世の中に普及させること」です。「コンセプトが素晴らしくても、種類が少なければ、消費者は選ぶこともできず、競争がないと価格も下がりません」。そこで目標となったのが、大学で商品開発のプロセスを構築し、研究発表という形で情報公開することでした。「簡単に再現が可能な方法を公開すれば、食品メーカーも商品開発しやすくなります。種類が増え、メーカー間での競争が起これば、価格も下がり、より多くの嚥下障害の方に食の楽しみを届けられるのではないかと考えたのです」。
04
再現可能な商品開発の手法を構築し
嚥下調整食の普及につなげる
羽深講師を中心に、水ようかんをテーマとした商品開発プロセスの研究が始まりました。飲み込みにくさの程度は人によってさまざまなので、消費者庁が定める「嚥下困難者用食品」の基準に対応した商品の開発を目指しました。小豆の種類、水の量、寒天の量などを変えて、狙い通りの食感や飲み込みやすさに仕上がるように実験、測定。統計学の手法を取り入れることによって、最小限の試作で最適解に到達できる商品開発プロセスを構築し、学会でも報告を行いました。
開発中、水ようかんの官能評価は、短期大学部ライフデザイン学科でデザイン企画分野の授業を履修する学生が行いました。「食べるのが好き」という学生も、何十種類もの水ようかんを比較しながら食べ続け、客観的な評価をするのはかなり大変だったそうです。それでも、食品開発の一端を担うのは、学生にとって大きな経験となりました。
「KOKA★オレンジサポーターズ」の学生たちは、地域の商店街で行われた嚥下調整食の普及イベントにも参加。買い物客に嚥下調整食和菓子を紹介し、試食してもらう活動も行いました。
参加した健康科学部医療福祉学科言語聴覚専攻2年生のY.Wさんは「高齢者の方や親御さんを介護中の方は、試食後に『こういうのを買いたい』とおっしゃっていました。嚥下調整食和菓子がもっと普及するといいなと思います。言語聴覚士になったら患者さんのご家族とも関わることになると思うので、そういう意味でもよい経験になりました」。同専攻2年生のK.Nさんも「試食では食感に対する厳しい意見もあり、飲み込みやすさと食感のバランスの難しさを感じました。嚥下障害の方ののどの状態は授業で学びましたが、実際に召し上がる様子を見せていただき、よい勉強になりました。小さなお子さんが美味しいと言ってくれて、高齢者の方が食べやすいものは子どもにも食べやすいのでは?という気づきもありました」と話します。
学生の話を聞いた関教授は「今、障害の有無や年齢を問わず楽しめる『インクルーシブフード』が注目されつつあります。嚥下調整食和菓子も、家族で一緒に食べられる和菓子としてさらに普及させたいですね」と話しました。さらに「嚥下障害の方の支援には言語聴覚士と管理栄養士の連携が欠かせません。学科の枠を超えた活動でそれを実体験できるのも大きな学びだと思います」と活動の意義を語りました。
05
嚥下調整食の情報を網羅した
プラットフォームを目指したい
研究の今後について、関教授は「本学を、嚥下調整食に関する情報提供のプラットフォームにしたい」との目標を掲げました。「嚥下障害は誰もが将来経験すること。『安全に食べる楽しみを味わえるようにするための情報はここに集まっている』そんな役割を担えるよう、研究や普及活動を続けていきたいと思います」と未来を見据えます。
下山准教授は、「各学科が連携をして行った研究の成果を社会に還元できることは、すごく意義のあることだと思っています。そして、研究活動に関わった学生が、自身の学科・専攻とは異なる世界を知り、視野を広げられることもとても大切なことです。既成概念にとらわれず、社会で求められているものは何か、それを実現するためにはどうしたらよいかという発想で、専門分野の異なる方とも連携し、活動を広げ、新しいものを創り出すことによってWell-Beingな社会の実現につなげていってほしいと思います」と、学生への期待を述べました。
羽深講師は「本学の強みは多様な学部学科があり、全体としていい形でチームになっているところだと思います。だからこうして活動が広がっていくのでしょう。今後は、さまざまな大学が和菓子屋さんや食品メーカーと共同で研究や商品開発を行うことで、嚥下障害があっても食べる楽しみを味わえる食品が一つでも多く世の中に生まれることを期待したいと思いますし、本学が、そのサポートをできるような存在になりたいと思っています」と今後の展望を話しました。
「地域の和菓子店とのコラボも継続していきたいですね」と関教授。コロナ禍の収束によって学生の学外での活動も元に戻りつつある今、嚥下調整食和菓子の開発や普及に学生が関わる機会が増えることも期待できそうです。