夢からの連想をつなぐと、夢に新しい意味が生まれる
夢を見る時、脳は自由を満喫している
夢の科学的探求は、約100年前、精神分析を創始したフロイトが夢分析を行ったことから始まりました。当時は、夢を、その人の隠れた真実を見つけ出すものとして治療の一環に利用していました。心の不調を抱えた患者さんの無意識を探るには、その人が見た夢を分析するのが一番の近道だとされたのです。しかしその後、睡眠や大脳生理学の研究が進むと、夢は睡眠中に脳が記憶や情報の整理をする際に起こるノイズに過ぎないと考えられるようになっていきました。現在は、夢の内容にはほとんど意味がないという考えの研究者が多くなっています。
一方で、夢と脳の働きの関係が明らかになったからこそ夢には意味があると考える研究者もいて、私もその一人です。夢は、レム睡眠と呼ばれる状態の時に見るということがわかっています。レム睡眠時には、脳の中でも視覚をつかさどる後頭葉の一部、そして主に記憶と感情をつかさどる大脳辺縁系が活性化されます。一方で、理性や合理的判断をつかさどる前頭前野の活動は抑制されます。夢の中で、突拍子もないこと、変なことが起こっても特におかしいと思わないのはそのためです。夢を見ている時は、理性の制約から解き放たれ、脳が最大限の自由を満喫していると言っていいでしょう。だから起きている間には思い浮かばないような自由な発想が生まれる。私はそこに夢の意味があると考えています。
ニューロンが活性化されると、他の記憶が「連想」という形で現れる
人の記憶には、脳のニューロンと呼ばれる神経細胞が深く関わっていますが、一つのニューロンに一つの記憶が保存されるのではなく、多数の記憶がニューロンのネットワークとして重層的に保存されています。それぞれのニューロンは、複数のネットワークの構成要素として、いくつもの記憶に関わっています。ですから、ある記憶が思い浮かんでニューロンのネットワークが活性化されると、そのニューロンが関わる他の記憶も呼び起こされることがあり、これが「連想」という形で現れてきます。私にとって、それこそが夢を分析する手がかりです。夢の内容から何を連想するかを聴くことによって、夢に新しい「意味」を見出すことができるからです。「意味」とは、記憶情報の間にこれまでなかったつながりが生まれることに他なりません。
私は20代の頃、よく雷に追いかけられる夢を見ました。私が雷から連想するのは「怒られる」ということ。実は私は小さい頃から怒られることがとても苦手で、怒られないよう、無理に良い子を装ってきたことが思い起こされます。また、雷から父親も連想します。私は父親不在の中で育ち、年上の男性に怒られることに強い恐怖を感じていました。さらに連想をつないでいくと、「怒られる」ことへの恐怖には、抑え込んでいた自分自身の怒りが投影されていることがわかってきます。恐れていたのは自分自身の怒りだったのではないかと気づかされたのです。また、雷の稲妻は火花のようなインスピレーションやニューロンのネットワークを想起させます。研究者になりたいと考えていた当時の将来への不安や期待、ひらめきのある研究者という夢、そういったものが連想されてくるのです。雷が直接インスピレーションやニューロンを暗示しているのではありません。話しているうちにつながりが次々と生み出されていく。それが夢について考え、語ることの意味なのです。それはまた、その人の人生の創造でもあると思います。
フロイトも夢を見た人の連想をとても重視していましたが、それは連想をたどっていくことで、抑圧された真実に到達できると考えたからです。私の場合は、フロイトの時代にはなかった脳科学の知見を参考にしながら、夢を見た人がそれを言語化し、さらに連想をつないで広げていったものを聴くことによって、そこで生まれてくるものを一緒に体験するという方法で夢を分析しています。専門家が一緒に体験することによって、本人が気づかないものに気づくことができるからです。面白いもので、音が近い言葉同士が同じニューロンを共有していることがあるので、夢の中では言葉遊びのような現象が現れることがあります。「我慢して待っている」という場面で「待つ」からの連想で「松」の木が出てきたり、「松田さん」が出てきたり、そのような連想も非常に重要なポイントなので、見落とさずに一緒に意味を作るのが専門家の仕事です。
心理カウンセラーの仕事は、
クライエントの自己治癒力を発揮できる環境を整えること
ネガティブな感情の中に、その人のダイヤの原石が隠されている
とはいえ、夢分析は数ある技法の一つにすぎません。私が、心の不調を訴える相談者(クライエント)をカウンセリングする時に心がけているのは、クライエントに対して全力で人間的な関心を向け、同時に自分の感情や感覚にも正直になるということです。こうした人間としての関わりをベースに、夢分析、箱庭療法、描画療法などの技法も用いていくのです。初めて来られた方にいきなり「どんな夢を見ましたか」と聞くのではなく、色々と話をした上で「次までに何か夢を見たら教えてくださいね」といった感じです。
カウンセリングで大切なのは、クライエントの中に入っていき、その人がどうしてそう感じているのかを内側から理解して自分のことのように感じ取ることです。外側からアドバイスすることはありません。心理カウンセラーの仕事は、クライエントの自己治癒力を最大限に発揮できるような状況を整えることだと思います。自由に、色々な思いを語ることができるような状況を作ることが大切です。なかなか話せない人には「話しにくいですね、それでいいんですよ」と応じることもあります。
不満や悩み、トラウマ、劣等感…それらをまるごと受け入れてもらえるのがカウンセリング。否定も肯定もされず、そういうあり方でいいと受け入れられる、そのままのあなたに関心があるから話を聴かせてほしいと言われる体験は、日常生活ではまずありません。カウンセリングを重ねていくと、その人の内側に眠っていた可能性が動き出し、当初は思ってもいなかったような人生が開けてくることがあります。心理カウンセラーはそのリアルなプロセスに同伴させてもらうことのできる、これ以上ない素晴らしい仕事です。怒り、不満、不調、一見するとネガティブなものの中に、その人のダイヤの原石が隠されていることを、私たちはよく知っています。
心理カウンセラー自身もコンプレックスを抱えていたり、見方に歪みがあったりするので、それらが仕事に影響を与えないよう、上級者にアドバイスを求めたり、カウンセリング(教育分析)を受けたりしながら、常に自己を見つめ直しています。これは自分自身の成長にもつながるので、その意味でもありがたい仕事だと思っています。
究め人のサイドストーリー
高校の部活動で始めたフェンシングを40歳近くまで続け、国体にも12回出場しました。フェンシングの面白さは、一つは相手の動きのパターンから次にどんな技が来るか予測する駆け引きの要素です。もう一つはその駆け引きを凌駕するようなスピード感など、スポーツとしてのダイナミックな部分です。対戦相手のマスクの中の表情を見ていると、一種独特の敬意が生まれるのも不思議なところです。今は夢の中でよくフェンシングをしています。
学内のカウンセリングセンターでカウンセリング経験を積む
「プロ養成」のため、寄り添いながら厳しくつきつめる
心理専門職の資格には臨床心理士と公認心理師がありますが、いずれも基本的には大学院で学ぶことが必須となっています。本学の大学院心理学研究科では、カウンセリングの知識と経験を積むことのできるカリキュラムがさまざま設けられています。
私が担当する「臨床心理実習」「心理実践実習」では、病院、学校、福祉施設などで行われる学外実習に加え、大学内のカウンセリングセンターで、一般の方を対象に学生自らがカウンセリングを行っています。1対1でクライエントと向き合い、料金もいただくので、学生はみな真剣に取り組んでいます。カウンセリングを行った後は、カウンセリングセンターのスタッフ、教員、学生が全員出席してケース検討会を行い、一人ひとりのカウンセリングの内容をより広い視点から詳細に検討します。そのことを通して、より客観的な視点、より深い知識と技能を養うのです。
カウンセリングセンターのクライエントは、人間関係、子育て、不登校、発達上の問題、心の症状、さらには自分の性格や生き方など、様々な悩みを持っておられます。カウンセリングを行う学生は、もちろん未熟で、思い入れや先入観が強くなりすぎることや、うまくできているか自分の方に関心が向いてしまうこともあるのですが、話を聴こうとする熱意と誠実さは本物なので、クライエントからは「こんなに一生懸命聴こうとしてくれるんだ」と好意的に受け止めていただいているようです。
本学の心理学研究科は少人数制で、一人ひとりに教員の目が届きやすいので、常に学生に寄り添いながら丁寧に指導できる環境があります。カウンセリング後のサポートも十分に行っています。だからこそ、ケース検討会では、学生自身の心の深い部分に関わるような指摘もして、自分自身をつきつめるように促す、厳しい指導ができるのかもしれません。心理学研究科の教育のポイントは「心の専門家を育てる」という姿勢です。知識と経験を往復しながら、人の心がどう動くのかを身をもって体験し、自分自身の心を保つためのスキルも備えたプロフェッショナルを育て、世に送り出すことが私たちの使命です。