聴覚障害は新生児スクリーニングで早期の対応が可能に

人との関わりの中で言葉を使う力をどう身につけるか

私は長年、公立中学校の難聴学級で教員を務めてきました。聴覚障害のある生徒のための学級です。聴覚障害とは、音を聴いたり感じたりする経路に何らかの障害があるために、聴こえなかったり聴こえにくかったりする状態のこと。昔は生まれた子どもに聴覚障害があっても、意味のある言葉が出始める1歳をすぎるころまで、周囲はなかなか気づかないことが多くありました。しかし今は、生まれてすぐに聴覚のスクリーニング検査が行われるようになり、障害がある子どもには補聴器をつけたり、1歳を過ぎると聴覚を補助する人工内耳の選択を提示したり、手話環境を整えたりすることが多くなっています。そして、早期からコミュニケーションへの介入や療育を始めることによって、言葉の発達を支援することが可能になりました。

しかしそれが新たな課題を生んでいると私は考えています。障害のない子どもが、親とのふれあいや集団の中で関わりや遊びを通して自然に言葉を学んでいく時期に、専門家から一対一できめ細やかな言葉の教育を受け、早くから「できた」「できない」の世界にいることは、長い目で見た時、その子どもにとってどういう影響があるのだろう。私の研究はこの疑問から始まりました。

こんなエピソードがあります。中学校で、難聴学級の生徒が友達とけんかをした時、その生徒が心から反省し、あやまろうと思って発した言葉が「誠に遺憾に存じます」だったのです。この生徒は小さいころから言葉の療育・教育を受け、新聞もよく読んでいました。彼は国の首相が正式に謝罪する時に使う言葉を知っていて、それを精いっぱいの表現として使っただけ。でも相手の生徒や保護者はむっとしていました。当然ですよね。

聴覚障害のある子どもが「言葉を使える」状態になるためには、言葉をたくさん知っていたり、難しい文章が読めたりすること以外にも必要なことがあると思います。彼らが人との関わりの中で言葉を使う力をどのように身につければいいのか。私は、教え子たちからの聴き取りなども交えながら、このことについて研究しています。

自分を守り、自分らしく生きられるように言葉で伝える力

思春期以降は多様な人との関わりの中で経験から学ぶことが大切

聴覚障害があると、補聴器をつけていても高い周波数の音は聴きとりにくくなります。ですから、聴覚障害を持つ子どもの多くは、口の動きを読むリップリーディング、最近では音声認識技術を用いてリアルタイムに声を文字化するアプリなどを使って聴覚を補助しています。手話を自分の言語とする子どももいれば、聴覚活用をしながら手話や手話単語を併用する子どももいます。聴覚障害は見えにくい障害。軽いつきあいなら問題ないかもしれませんが、成長するに従って、親しくなりたいなと思う人、仕事でつき合う人などに自分の障害のことを伝えなければならない場面も出てくるでしょう。自分の「聴こえない」状態がどのようなものかがわからない人に、どういう場面で困るのか、どういう合理的配慮が必要なのかをしっかり伝えることが必要になってきます。

私自身も左耳が聴こえない片耳難聴の障害があります。静かな部屋で話す時は問題ないのですが、たとえば授業中に左側から声をかけられても聴こえない場合があるかもしれません。私は学生に「無視された」と思われるのは絶対にいやなので、最初の授業で必ず自分のことを話すようにしています。単に「片耳難聴です」というだけではなく、話しかける時は右側からにしてほしい、聴こえていないと思ったら少し声を大きくしてほしい、手を振ってほしいなど、具体的な希望を伝えるのです。

他者との関係の中にいる自分を意識しながら言葉を使う

聴覚障害のある子どもが、言葉によって人と関わることができるようになるには、語彙や文法などの能力を基礎に、「伝えたい」という意欲を持って戦略的なコミュニケーションをはかることが必要です。これまでの研究から、幼児期はていねいな指導によって基礎能力を育み、思春期以降はできるだけ多様な人との関わりの中で、失敗もしながら、自分が自分らしくいられるように試行錯誤することが大切だということがわかりました。私が担任をしていた難聴学級の生徒も、課外活動では通常学級の生徒と一緒です。よく聴こえなかったために失敗したり、障害をわかってもらえずトラブルになることもありますし、仲間をサポートしたりリーダーシップをとることもあります。こうしてさまざまな経験を重ねることによって、自分を守り、自分らしく生きられるよう、状況に応じて言葉で伝える力がついていくのだと思います。

その力をつける教育として、私は「セルフモニター」を意識させることが有用だと考えています。自分を俯瞰で見て、他者との関係の中にいる自分を意識しながら言葉を使うようにする取り組みです。そうすれば、けんかの仲直りで「遺憾に存じます」という言葉は出てこなくなるのではないでしょうか。

究め人のサイドストーリー

広島出身なので、もちろん広島東洋カープのファンです。私が子どものころは万年最下位のチームでした。資金難に陥った時は、チームのため、なけなしのお小遣いから10円、50円を広島市民球場前の大きな「樽」に募金するのが当たり前。広島の小学生はみんなそう思っていたのではないでしょうか。中学3年生の時に初めてのリーグ優勝。パレードの光景は今も忘れられません。
今、好きなのは坂倉将吾選手。やんちゃ坊主って感じがいいですね。長期休暇にはマツダスタジアムに応援に行きます。去年の夏も砂かぶり席で観戦。コロナ禍で制限のある時以外は大声で応援していました。すごく発散できます。原爆で壊滅した広島の復興のシンボルの一つだと思いますし、自分たちが支えたという自負もあるので、これからもずっと応援し続けます。

言語聴覚士としての基礎知識を体系的に学ぶ

一人の子どもと長く関われる、やりがいのある仕事

私の担当する「聴覚障害学概論」は、言語聴覚専攻に入学してきた1年生が、最初に聴覚障害について学ぶ授業です。しかし、耳の構造はこうなっていて、どの部分にどんな障害を受けてといった話からではなく、「聴覚って何?」と、まずは聴覚障害者の感覚を想像するところから始めます。そして音を使ったワークをたくさん取り入れます。たとえば、音の周波数をだんだん高くしていき、どこまで聴こえる?を試したり、短調で演奏されたラジオ体操の音楽を聴いて「どんな気持ちになる?」と感想を言い合ったりしています。実は短調がどうして悲しく聴こえるのかについてはまだはっきりとはわかっていません。それでも聴覚は人間の心理にまで影響を与えるということは、みなさんも体験からよくわかると思います。

その後、解剖学や生理学にもとづく専門的な内容にも踏み込みます。耳の構造の細かい部分を探求するミクロの視点と、一人の人間全体に与える影響を考えるマクロの視点、その両方を大切にしながら授業を行い、言語聴覚士として聴覚障害の人と接する時に必要な基礎知識を体系的に学びます。

言語聴覚士は、「聴く」「話す」「食べる」さらには脳の機能に関することまで幅広い分野をカバーする資格です。ただ、実際には本学の言語聴覚専攻を卒業した学生の多くは病院に就職し、成人の失語症や嚥下障害のサポートをしています。私の専門分野である子どもの聴覚障害の分野で活躍する人はあまり多くありません。でも私はおもしろい分野だと思います。一人の子どもの成長にずっと関われるからです。

今、子どもの障害に関する情報やその子が抱えている課題について、小学校から中学校、高校へのスムーズな連携という点で課題が多い現状があります。一方、言語聴覚士は一人の子どもと長く関わり、その子の先を見据えた支援やアドバイスができます。これまで関わってきた生徒たちとは今も交流があり、研究への協力もしてもらっています。社会人になった彼らを介してまた新たな出会いもあるのが嬉しいところ。今の関わりが将来の喜びとなって返ってくるような、長い時間軸で人の役に立てる喜びのある仕事です。

高校生へのメッセージ

手書きメッセージ

大学は、自分でなんでも選び、決めることのできる場所。ちょっとした好奇心でアクションを起こしてほしいと思います。新しい人、新しい経験。自分で最初の一歩を踏み出せたら、きっと何かが見つかるでしょう。恐れる必要はありません。失敗も財産です。言語聴覚専攻に興味がある人へ。「人の役に立ちたい」という気持ちはとても大切だし、ありがたいと思います。しかしそれよりも「人間って不思議だなあ」「言葉って奥が深くて面白そうだなあ」という好奇心をもって、学びの場に飛び込んできてほしいと願っています。

高井 小織 准教授

看護福祉リハビリテーション学部 福祉リハビリテーション学科 言語聴覚専攻

※2024年4月開設

京都大学教育学部卒業、立命館大学院応用人間科学修了。26年にわたり京都市立二条中学校の難聴学級で聴覚障害のある生徒の指導にあたる。2015年より現職。言語聴覚士。

この分野が学べる学部・学科

看護福祉リハビリテーション学部
福祉リハビリテーション学科 言語聴覚専攻

ことばや聞こえ、飲み込みに障がいがある人を支援するリハビリテーションの専門職「言語聴覚士」を養成。現場で活躍するプロから学び、臨床実習などを通して各専門職と連携しチーム医療に応えることのできる人材を育てます。

※2024年4月開設

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