遺された子どもに、「寄り添い支える」
深い悲しみや喪失にある人と向き合う「グリーフケア」
身近な人を亡くしたことがありますか?その時、どのような気持ちだったでしょう。
大きな悲しみや喪失感に包まれながら、一方で落ち込んでばかりもいられないという思いもあり、その両方を行ったり来たりして不安定になったり、食べられなくなったりしたことがあったかもれしませんね。このように、死別や喪失は人にさまざまな感情をもたらします。これらの感情は「グリーフ」といわれます。「深い悲しみ」「悲嘆」を意味する言葉です。そのような状態にある人へのサポートを、一般的に「グリーフケア」といいます。
子どものグリーフについては誤解がいっぱい
私は10年以上、子どもへのグリーフケアについて研究しています。日本では長い間、遺された子どものケアは「家庭の問題」とされ、その結果、子どものグリーフは取り残されてきました。他の家族みんなが、大切な人を失った当事者として、自分の感情と向き合うことに精いっぱいだからです。その様子を、子どもは大人が考える以上によく見ています。泣いているお母さんをこれ以上悲しませてはいけないから、お父さんの話はしないでおこう、そのように考えて、自分の気持ちにふたをしてしまうことがよくあるのです。
大人なら、体験的に自分の気持ちを処理する方法を考えて、何とかしようと友人に話したり、遺族ケアのグループを探して参加したりなど、気持ちを発散させることができます。しかし、子どもは自分の気持ちや感情を処理する術が体験的に少なく、気持ちの行き場がありません。「子どもだから、すぐに忘れるだろう」「子どもは大人ほど傷ついていない」といった誤解を持つ方は少なくないため、励ましのつもりで「早く元気になりなさい」と言われたりして、子どもはいっそう追いつめられてしまいます。
3、4歳の子どもは、「自分が悪い子だから親が亡くなった」と思いこんでしまうこともあります。これは、因果関係の理解が十分ではないことや一方的な物の見方しかできないというこの年齢の思考の特徴のためなのです。
自分の気持ちにふたをした子どもは長期にわたって、つらい思いをすることがあります。中学生の時に父親を亡くし、泣いている母親をこれ以上悲しませたくなくて、自分がお母さんを支えようと思い、自分は一切泣かなかったという思い出を話してくれた大学生がいます。彼女は、あの時泣かなかったことは「本当は父親を好きではなかったのではないか」と、自分への罪悪感ともいうべきもので苦しんでいました。このように子どもは大人が考える以上にさまざまな感情の中で大切な人の死に向きあっているのです。私は、遺された子どものケアは、家族だけで解決しようとせず、時には第三者、専門職の力を借りることも大事なことであると、広く社会に伝えたいと思っています。
グリーフケアで大切なこと
自分の気持ちを外に表現できる場や機会が大切
子どものグリーフケアで必要なことは、自分の気持ちを表現できるようにサポートすることです。安心して「悲しかった」と言える場、「大好きだったのね」と聞いてくれる存在が必要です。時には絵を描くことだけでも気持ちの表現になるでしょう。友だちを亡くす動物が登場する絵本があるのですが、そのような本を一緒に読むのもいいですね。子どもたちにとって物語の持つ力は大きなものがあります。
アメリカでは1983年に、愛する人を亡くした子ども・家族のためのセンターとして「ダギーセンター」という民間団体が発足し、日本でもそれをモデルにした施設がいくつかあります。そこには、皆でお話をする部屋、絵を描く部屋、物を投げてもいい部屋、そしてサンドバッグのある部屋などがあります。 子どもにとって親の死は「どうして死んじゃったの!」という強い怒りなどもよく見られる反応で、どうしようもない気持ちを発散することもとても大切だと考えられているからです。このような施設や民間のサポートグループなどでは、グリーフケアのトレーニングを受けたボランティアスタッフが、子どもたちを見守り、お話を聞いたりしながら一緒に過ごしています。このような施設を利用することが、当たり前の社会になってほしいと思います。
子どもの力を大人が信じる
グリーフケアといっても深い悲しみから一気に回復するわけではなく、また悲しみは決して消えるわけではありません。日常生活の中でふいに思い出したり、家族でその人のことを話したり、ボランティアスタッフと一緒に写真を見て「どんな人だったの?」など話を聞いてもらったりしながら、悲しみと日常の間を行き来しているうちに親の死に向き合っていけるようになっていくのです。本人が自分で回復することを支えることがグリーフケアなのです。
人間は5歳になれば基本的な感情をすべて備えるようになるといわれています。子どもを信じて事実を隠さず、親子で一緒に向き合おうとすれば、そのプロセスの中でお互いに癒され、新しい生活に慣れていけるのだと思います。子どもであっても自分で回復する力を持っています。周りの大人がその力を信じることが大切です。
子どもたちは日常的に、ペットの死なども含め多くの死と出会っています。しかし、子どもが多くの時間を過ごす小学校、中学校の先生たちは、子どもの喪失や悲嘆、そしてグリーフケアに対する認識が十分とはいえないことが調査で分かっています。これは私にとって今後の大きな課題です。光華女子学園には教育を実践する幼稚園から大学までがありますので、まずは、このような問題やグリーフケアについて学園内の小学校や中学校などの先生たちとも一緒に考えていけたらと考えています。
究め人のサイドストーリー
20年以上前ですが、青年海外協力隊の隊員として南米のパラグアイへ行ったことがあります。約3年間、看護学校で学生を指導しました。あらゆる意味で日本と正反対の環境の中で、人間はどこでも生きていけるということを実感。日本の当たり前が、決して当たり前でないということについても考えさせられました。私にとってはこの経験が、その後の人生に大きな影響を与えていると思います。日本では色々なスポーツが人気ですが、パラグアイでスポーツといえば、なんといってもサッカー。サッカーの試合に一喜一憂するパラグアイ人の姿を思い出すと、今も、日本と対戦する時でさえ、どうしてもパラグアイを応援してしまいます。
子どもの看護は、子ども心身の特徴をふまえることが大切
注射の説明でぬいぐるみを使うことも
私の担当する「小児看護学」は、子どもへの看護について学ぶ科目です。子どもは大人のミニチュアではありません。たとえば乳幼児は胃の形、胸郭の形や生理機能も大人とは違います。車の中で子どもが脱水死する事件がありますが、同じ条件で大人が閉じ込められたとしても死に至ることは少ないでしょう。乳幼児は体重当たり大人の2~3倍の水分が必要だからです。子ども特有の生理機能を正しく理解することは子どもの看護において不可欠です。
子どもの思考も年代により特徴があります。小児病棟では「いい子にするから帰りたい」と言っている子をよく見かけます。特に3~4歳ごろまでは、子どもは自分が悪いことをしたから入院すると考えてしまうのです。つまり、入院や病気を「罪や罰」と捉えがちです。そんな子どもの発達段階の思考の特徴も理解した上で、「プレパレーション」とよばれる、ぬいぐるみやごっこ遊びなどを利用した方法で説明を行い、点滴や注射による混乱や不安の軽減を図るのです。「子どもの生と死」という授業もあります。子ども自身が死に直面する病気に際してのケアについて学習するものですが、加えて、私の専門である「遺された子どものケア」について学ぶことにも時間をかけているのが本学の特徴かもしれません。学生の多くは成人期の患者さんがいる病棟で働くことになるため、「遺された子どものケア」にも関わることになるからです。
3年生からは実習も始まります。学生は実習を通して「子どもはこんなこともできるのか」「こんなことも分かっているのか」と驚いています。子どもであっても「子ども扱い」は通用しないということを学んでいますね。子どもも学生が看護師ではなく看護師の卵だということをちゃんと分かっているので、看護師さんとはまた違う接し方や、こっそり秘密の話をしてくるようです。子どもはいろいろなことをしっかり見ていますし、不安を感じていた学生も率直に子どものすごさとかわいらしさを実感するようです。
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