2024年度 日本の伝統美・和のテイスト研究会

フィールドワーク 京都の歴史・和の文化体験ツアー

2025年3月11日

今回はフィールドワークとして、上京区の西陣界隈へ出向き、その地に生まれた伝統文化や史跡を訪ねました。

まずは堀川今出川の「西陣織会館」へ。この辺りは平安時代に朝廷の役所「織部司おりべのつかさ」のもとに絹織物技術者を集めて組織したのが起こりとなって日本の高級織物の中心地となったとか。室町時代、応仁の乱で焼け野原となった後も、避難していた職手が西軍の陣のあったこの地(通称:西陣)に戻って座を復活して再興したとのこと。幾多の苦難を乗り越え、次代へつなごうとする古人のパワーと使命感…、日本の伝統産業を守ってきた街の人たちの熱い思いを感じました。

会館には繭から生糸、さらに絹糸、織物になるまでの工程や、織屋の店や機織り機の模型が展示されていてわりやすく、また実演のコーナーでは伝統工芸士の方に、大変な時間と技術を要して織り出される「爪掻本綴れつめかきほんつづれ」の織り方を見せていただき、伝統文化継承への思いとご苦労を伺いました。この織り方は手の爪をやすりで削ってギザギザにし、縦糸を爪で掻き寄せて織る最高級織物であり、その作品の見事さに圧倒されました。伝統の手仕事が生む精緻で美しい織物を見学して、貴重な絹糸を丁寧で高い技術によって作り上げるきものや帯が、何代も大切に受け継ぎ着用される所以がよく理解できました。

さらに展示会場では、多くの貴重な時代物の織物や装束を見学することができ、和文化の美を堪能するとともに、ホンモノを観ることの大切さを実感しました。

次に、今出川通りを北に渡った京菓子の老舗「鶴屋吉信」さんで和菓子づくりを見学、職人の方から和菓子の「意匠」「季節感」「吉祥」などについての説明と、目の前で和菓子作りの工程を見せていただき、掌の中で、春を告げる「寿梅」「下萌え」のお菓子ができ上がっていくその技術の素晴らしさ、美しさに感動しました。また、職人の方たちの和菓子への深い愛情を知り、メンバーもこれからは小さなお菓子一つひとつに込められた職人さんの思いを感じて食したいと感じたようです。訪問が節分の時期でしたので、お抹茶茶碗も百福(おたふく)の文字と可愛いお福さんの絵が描かれており、佳い年となり幸多かれと願っておもてなしをされるお店の思いと季節を感じるお菓子をいただき、ビルの階上に造られた坪庭の美しさとお茶室での静かなひと時に、また一つ和の文化の素晴らしさを学ぶことができました。

続いてすぐ北側の通りに位置する応仁の乱 西軍の総大将 山名宗全の旧宅跡を訪ねた後、堀川通を南へ下り晴明神社を訪ねました。平安期の天文学者、陰陽師の祖といわれる安倍晴明を祭る神社ですが、応仁の乱以降は敷地も縮小、荒廃したものを近年に復興したとのことで、特に最近はパワースポットや占いを好む女性ファン、外国の方が多いようで賑わっていましました。一の鳥居には神社名ではなく陰陽道の晴明桔梗(五芒星)が掲げられ、京都の歴史を感じる見慣れた神社とは少し違う雰囲気でした。

さらに応仁の乱の主戦場となった堀川通を東に渡り小川通界隈の史跡と、南北に建ち並ぶ茶道大成者 千利休から続く表千家(不審庵)・裏千家(今日庵)の和の建造物の外観を表通りから見学、日曜日で近隣に続く茶道具店はお休みが多かったのですが、茶道の文化の継承が感じられる美しい街並みでした。

京都は、どこを歩いても歴史と伝統文化に触れることができ、またその伝承者に会える町です。これからも学内での学びと併せて、さまざまなフィールトワークを通して日本人の美意識を知り、感性を磨いて行ってほしいと思っております。

お香体験

2025年3月11日

今回は特別講師として、本学の卒業生であり京都のお香の老舗「天香堂」ご店主の奥裕美先生にお越しいただき、「お香」とは何か、古代に外国から伝来したお香の原材料を日本人がどのように生活の中に取り入れていったか、さらに日本人の「香り」への繊細な思いと「道」としての精神性が作り出した「香道」について、お話しを伺いました。

お香は「においを嗅ぐ」のではなく、五感で感じる、丁寧にあじわうというような意味から、「香を聞く」、「聞香」ということからも、とても繊細で精神性の高いものと感じました。

当日は、自然の中で何千年もかけて芳香を醸し出すお香になった貴重な「お香の原木」や、様々な種類のお香をお持ちいただき、実際に香り(薫り)を聞く体験をしました。

これらを学んだあと、自分でいくつかのお香を入れ合わせて「自分好みのお香袋」を作る体験を指導いただきました。

お香の組み合わせ方も、どのお香を主にして入れるか、合わせるお香は何にするかによって一応の方向性あるようですが、その香りを優しい、爽やか、柔らか、スッキリなど、どう感じるかはその人の感性によって異なるようで、まさに「自分好み」の聞香を楽しめる作品になりました。

お香が、日本の四季と日本人の研ぎ澄まされた感性が育んだ伝統文化であることを知るとともに、原産地ではこれまでの香木はもう枯渇するという危機の中、日本の伝統文化の伝承と併せて、自然からの恩恵を地球規模で後世に受け継いでいくことの大切さも学べました。

着物文化について

2025年3月11日

今回は日本のきもの文化の歴史について学び、前回に引き続き王朝装束の中から女房装束(唐衣裳装束=十二単)を見学しました。[着装の仕方は前月ブログ参照]

まず、講師から古代から現代までの男性、女性の衣装について、どのような背景で決められ

制度化され、さらに発展、変遷していったかの概要が説明され、その中で人々が衣装に対してどのような意義(例えば儀礼や神事などの晴れの装束による敬いの心、また決まりごとの中での日常服=褻けの装束の個性の出し方、楽しみ方)を見出し、また工夫していったのかを学びました。そして、日本では、基本となる姿勢として日本の自然を大切にして生活に取り入れてきたこと、このことが今も和の文化が世界から称賛され憧れられる大きな要因であることを学びました。特に、平安時代の国風文化で発展した王朝装束は、自然の色、意匠を表現した美術品とも言える優雅なきものです。

続いて、実際に十二単を構成する各装束を広げ、資料に沿った細かな説明とともに着付け方を見学し、最後にメンバーが洋服の上からではありますが、上着、唐衣、裳を着装させてもらいました。

全体の何分の一の枚数であるのにかなり重く感じる装束に、昔の女性は大変だったろうとの感想も寄せられましたが、貴重な装束に直に触れる機会を通して、歴史・文化・服飾美の知識習得とともに古来より日本人が大切にしてきた「美しさ」への感性を磨いていってほしいと思います。

なお、日本の伝統美・和のテイスト研究会では、これまでに学生自身が実際に何度も十二単の着付けの体得をし、地域の皆さまにも披露しております。詳しくは、過去のプログ(2015(平成27)11月からの記事)をご覧ください。

王朝装束について

2025年3月11日

本学では「王朝衣装」として、平安時代以降の公家の女性の晴れ装束である女房装束(唐衣裳装束=十二単)」と、公家の男性の装束である束帯・直衣・狩衣などを所蔵しています。昭和56年、京都の大学ならではのホンモノの装束をと当時の短期大学家政科の野上俊子教授が中心となり、風俗史の第一人者 江馬務先生の監修のもと、葵祭をはじめとする装束の制作をされている黒田装束店で誂えたものです。装束はもちろん、冠、烏帽子・檜扇・平緒、襪(しとうず:後世の足袋)などすべて有職故実(ゆうそくこじつ)に則った大変貴重なものです。

今回は、本学同窓会(ふかみぐさ 京都支部会)総会(10/27)で披露されるこれらの王朝装束の前日準備10/26に参加させていただき、現物に触れ、十二単の着装の仕方を見学しました。

十二単の着付け(衣紋)は、小袖と長袴の着装の後、2本の紐のみを使い着装します。1枚着付けるたびに下になっている紐を引き抜き、単衣、五つ衣、打衣、表着、唐衣の順に重ね着を整えて、最後に裳を後ろに引き、背中に当てた大腰から繋がる小腰を正面で結ぶ際に着付けに使った紐を引き抜き、小腰ですべての装束を安定させます。この着付け方は平安時代から継承されている衣紋道(山階流、高倉流)により、衣紋者2名が着付けてもらう人(お方さま)への礼儀をわきまえた美しい所作で臨むものです。この回では正式な衣紋の見学ではなく、装束の構成、織物1枚1枚の美しさの上に、日本の四季折々の自然にみられる草木を手本として取り入れた襲(かさね)色目の優美さを初めて見せてもらい、また羽織らせていただき、その気品のある美しさを実感しました。

併せて、数々の男性装束や装飾品、資料を見学し、王朝装束が伝える日本人の感性に触れることができました。

次回は、十二単について、より詳しく学ぶ予定です。